著者のヘンリー・S・ストークス氏が子どもだった第二次世界大戦の頃、故郷の町をアメリカ軍の戦車隊が通り過ぎていったことがあった。笑顔で子どもたちにお菓子を投げるアメリカ兵の姿を見て、ストークス氏は、アメリカは強大な力で世界を完全に支配しているため抵抗することは不可能だと感じたという。その直感は現実のものとなり、かつて世界じゅうで植民地を経営していた大英帝国は瓦解し、アメリカが世界を手中に収めるようになった。
では、イギリス人であるストークス氏は、母国・大英帝国を一瞬にして駆逐した大日本帝国を完膚なきまでに叩きのめしたアメリカに対してシンパシーを抱いているのだろうか。あれだけ広大な植民地を誇り栄華を極めた大英帝国を崩壊させられた屈辱は拭い去りようなく、また、戦後イギリスでは日本人は悪鬼のごとく描かれ罵詈雑言が絶えなかったという。それはなぜか。日本が侵略戦争をしたからであり、その侵略した土地というのが「白人が所有する土地」だったからだ。日本人ごとき極東の有色人種が白人の持ち物を侵すなどけしからん。これがアメリカをはじめとするアングロサクソン共通の見解だった。その報復行為は東京裁判にて顕著に示され、アメリカの正義が世界に発信された。当時のストークス氏も大いに溜飲を下げたに違いない。
そうした中、ストークス氏は、日本への見方を変えることになる小説『バー・オブ・シャドー』と出合う。この小説で、日本軍の収容所に捕らわれたイギリス人将校が、戦後の軍事裁判で仲間を日本刀で斬った日本軍人を追及する場に立つというシーンがある。そこでこのイギリス人将校は、「われわれは彼らにも同情する」とした上で、「彼らを憎いからと言って感情に駆られて処刑してはならない」「何が動機だったのか。どうしてそのような行為に至ったのかを理解しようと努めることが大切だ」と主張。日本軍人の命を救った。ストークス氏はこのくだりを読んで心を強く揺さぶられ、戦勝国が全能の神のごとく日本の罪を裁くことに違和感を覚えたという。
本書では、東京裁判史観が日本に重い足枷をはめることになった歴史的事実、南京大虐殺や従軍慰安婦といった日本を貶める作為的な宣伝活動など、戦後の日本が陥っている病理について語られるほか、大東亜戦争は白人の圧政に苦しむアジアの植民地を日本が解放した「大義ある戦い」であったという信念を軸に論が進められていく。また、三島由紀夫との交流や、金日成やスカルノ、シアヌークといったアジアの指導者とのエピソードも盛り込まれていて大変興味深い。
裁かれるべきは戦勝国側だったという観点に立つストークス氏は、日本がいつまでたっても戦後史観から抜け出せない理由として以下をあげている。それは、「『南京』にせよ『靖国参拝問題』にせよ『慰安婦問題』にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国にけしかけて、問題にしてもらったというのが事実だということだ」ということ。そして、その解として「この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない」と訴える。当然のことではあるのだが、戦後70年にもわたってそれをしてこなかったのが日本だ。いつまでも内にこもらず、すべての日本人が外国からの観点に敏感になるべき時にきていると言えるのではないだろうか。