日本語は「空気」が決める 社会言語学入門

石黒 圭

「空気読め」という言葉に代表されるように、人が集まる場にはある種の空気が醸成され、それに同調することが求められる。葬式では冗談など言えない厳粛な空気に凍結され、同窓会では懐かしい友人と再会できた喜びから華やかな空気が弾け、初めてのデートでふたりだけになると緊張した空気が漂う。これは世界のどの人種の間でも起こりうる事例ではあるが、場を乱す行為を特に嫌う日本においてこの傾向は殊更強い。本書は、話し手が自身のアイデンティティやその場の状況、伝えたい内容や伝える媒体に応じて無意識に選び取っている言葉を探る「社会言語学」を軸に、一橋大学国際教育センター・言語社会研究科准教授の石黒圭氏が、話し手から発せられる日本語に介在する空気を明らかにしていく。

言葉選びには、文法的・語彙的な正しさだけでなく、「ふさわしさ」という基準もある。その「ふさわしさ」を決める社会的ルールが、文法のような正しいか正しくないかのルールではなく、話し手のアイデンティティや話し手と聞き手の関係、その場の状況によって変化するゆるやかなルール、つまり「空気」なのである。基本的なところで言うと、自分自身を指す一人称は友人には「俺」や「僕」、上司には「私」と言い分けるケース、会議など公式な場では同僚にも「~さん」付けしたり丁寧な口調で語る一方、飲み会では同僚にぞんざいな口調で話すとともに上司にもくだけた表現で話すケース、人を慰めたり笑わせようとする時、その地方出身でもないのにわざと関西弁などの方言を持ち出すケースなど、石黒氏は私たち日本人なら必ず思い当たる言葉選びの「ふさわしさ」を解明していく。

言語学だけでも難しそうな響きなのに、それにさらに「社会」が加わると途端に尻込みしてしまいそうになってしまうが、全編にわたって身近な事例が豊富に取り上げられており、とてもわかりやすく読めた。社会言語学とは要するに、その人がどんなグループに属しどんな言葉を話すかを無意識のうちに予想することを通して、その背後にある社会を探る学問ということだ。気兼ねなく何でも話せる幼なじみ、顔見知り程度の同級生、初対面のクライアント、会社の怖い上司、金髪で青い目をしたウェイター……。そうした彼らと対峙した瞬間、どんな言葉づかいをするのか、どんな口調で話すのか、どんな言語を使うのかを判断した上で、彼らを不快にさせない空気を作り出すわけである。社会言語学とは“空気学”と言い換えてもいいかもしれない。


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