国土と日本人 - 災害大国の生き方

大石久和

著者の大石久和氏が建設省に在職していた頃、日本とヨーロッパにおける道路防災対策の違いについて調べてみたことがあったという。その際明らかになったことが、両者の間には、洪水、土砂崩れ、土石流などの自然災害の規模と頻度がまるで異なっているということ。日本は国土全体が台風の通り道の上にあって豪雨と強風が頻繁に発生し、また都市がきわめて軟弱な地盤の上にあることから、国土の自然条件としてヨーロッパだけでなく北アメリカのそれに比べて格段に厳しいことが判明した。国土を縦貫したり横断したりして、交通や通信のネットワークを張りめぐらせることを考えると、かなり不利な条件にあるのだ。弓状列島ともいわれる細長い形状をした日本は、北は亜寒帯から南は亜熱帯までの多様な気候を持つ一方、国土を南北に走る脊梁山脈に貫かれている。この脊梁山脈から流れ下る河川が国土の縦貫軸に直行し、主として南北に流れ分ける形になっている。川はきわめて短く流れは急、そのうえ激しい豪雨もしばしば襲うため洪水が起こりやすい。古来、土地を治める豪族や士族にとって喫緊の課題だったのが治水だったのは、日本に暮らす者の宿命でもあったのだ。

日本の国土において最も特徴的なのが「地震」の多さと言えるだろう。なにしろ、日本の国土面積は世界の地表面積の0.25%を占めるにすぎないが、全世界のマグニチュード4以上の地震の10%が日本で発生している。さらに、マグニチュード6以上になるとそれが20%にもなるとのことだ。それに伴い、世界の活火山の10%が日本に存在しているため、火山活動・地震活動のきわめて活発な国土の上に私たちは生活しているという事実も忘れてはいけない。こうしたことは、2011年の東日本大震災によって、大きな揺れや想定もできないほどの津波がいつ私たちを襲うかもしれないと覚悟して生活を送らねばならないということを誰もが実感したことだろう。地震や津波のほかにも、豪雨や台風、豪雪などの自然災害が目白押しであり、他国では気にかけず建設を進められるものでも、日本では二重三重の対策を講じずには1本の橋を架けることすらできないのが実情なのである。

こうした現実を踏まえ、日本は老朽化したインフラの改修やミッシングリンクの解消など公共事業を盛んにしていかないといけないはずなのに、バブル崩壊以後「公共事業は無駄である」との認識が日本国中に蔓延してしまい、公共事業費は大幅に削減されてしまった。たとえば道路で言えば、道路は一定の地域間を結んでこそ価値を持つものであり、土地利用の高度化や企業の進出も図られて税収も増えるにも関わらず。また、建設を主眼とした公共事業に限らず、首都機能の分散化を図り、政府機関や企業本社などでパンク寸前の東京の負担を軽くするとともに、地方定住を促し、何か起こった時のバックアップを確保しておく必要もある。阪神淡路大震災が神戸を襲ったとき、鉄道と道路のすべての幹線が被災し、日本の東西がかなりの間、完全に分断されてしまったことを思い返してほしい。特定の大都市だけを対象とした一極集中型の国土づくりでは、たった一都市が機能を失っただけで日本国すべての機能が麻痺してしまうのだ。

最後に、大石氏は日本人が安全に快適に暮らしていくために人々の活力を引き出す3つのキーワードを提示する。「参画社会の構築」「人材活用の多様性の拡大」「次世代への貢献」がそれであるが、やはりもっとも重要なのは3番目の「次世代への貢献」だろう。いまだ大災害には脆いとはいえ、それでも現代に生きる私たちは国土から生活の安全性や利便性を得ることができている。森林、田畑、河川、水道、道路、鉄道などの自然やインフラは、当然のことながら過去の世代が私たちの世代のために汗水流して造り上げてくれたものだ。飽食世代といわれる私たちが将来世代に贈り物をしなくていいということは絶対にあり得ない。私たちには、次世代から「あの世代は後世のために何を遺したのか」と言われないだけの責務を果たすことが課せられているのである。


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