日本人の原点がわかる「国体」の授業

竹田恒泰

「国体」を考えることとは、「日本人が最後に守らなくてはならないものは何か」という重要な問いに答えることである。だが、戦後日本を占領統治したGHQが教科書検定基準のひとつとして「国体」の語の使用を禁止したため、いまではその問いに答えられる日本人は少なくなってしまった。国体とは、その国に住む人たちのアイデンティティの根本をなすものであり、それを変えてしまったらもうその国ではなくなってしまうもの。つまり「日本とはどういう国か」と聞かれて、ひと言で表現できるその何かが国体なのだ。たとえば、アメリカだったら「自由」、フランスだったら「平等」、中国だったら「中国共産党一党独裁の社会主義国家」となる。では、日本は何が当てはまるのだろう。日本において何にも替えられない存在とはいったい何だろう。それは「天皇」。万一、不在になってしまったら日本は日本でなくなってしまう存在、それが天皇である。現代まで125代にわたり2600年以上男系の血統を継承してきたという権威は言うまでもなく、日本の歴史において天皇の任命を受けずに行政の責任者に就いた者はひとりもいないという事実。また、日本国憲法の「天皇の任命権」「国事行為」を定めた条文を見ても、天皇が不在になったら国の立法・行政・司法はまったく機能しなくなることがわかる。ただし、天皇と皇族さえ残れば日本の国体が護持されるのかというと、そうではなく、ある状態を維持しなければ天皇は最後まで守るべき国体ではなくなってしまう。

その答えが日本国憲法第一条にある。天皇が象徴しているものとして条文にはふたつ書かれているのだが、ひとつが「日本国」で、そして答えとなるもうひとつが「日本国民の統合」である。国民の統合、すなわち建国の精神とは何か。それは「和」。和とは、自分のことは後回しにする精神、仲間のために私欲を捨てる精神、正しく生きた先に自分の幸せがあるとする精神のこと。こうした国民ひとりひとりの先頭に立って和の精神を実践しているのが天皇なのだ。かつて仁徳天皇をはじめとする歴代天皇は、城壁もなく豪壮でもない屋敷に住み、「国民が飢えて不幸になれば、それは天皇の責任だ」との精神で国民と接してきた。大東亜戦争終結直後、マッカーサーと対面した昭和天皇が「自分の命はどうなってもいいから一億の民を飢えさせないでほしい」と仰せになったことは、まさにこれを象徴している。このように日本は有史以来、天皇と国民との固い紐帯のもと、度重なる自然災害を乗り越え、敗戦の焼け野原から立ち直り、最近では阪神・淡路大震災、東日本大震災などの大災害からも立ち上がろうとしている。これこそが、国民一人ひとりが自分の分をわきまえ、家族のため、地域のため、国のために何ができるかを考えて行動する「和の精神」なのであり、ひいては「日本国民の統合」につながるのである。

しかし、国体が教えられなくなったいま、このままあと数十年同じ状態が続けば、国体ならびに日本人の精神は完全に失われてしまうかもしれない。これから何十年、何百年たっても日本という国を残したいと考えたとき、ただ領土と国民、独立国の看板だけを守っても、それは本当の意味で日本国を守ったことにはならない。むしろ、独立国の看板に多少傷がついても、国体、天皇と国民の絆さえ残しておけば、日本はいくらでも復活できる。ただ、国体を崩してしまったら、その瞬間に2600年以上続いた日本という世界最古の国は消えてなくなってしまうのである。


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