「軍国主義」が日本を救う

倉山 満

「軍国主義」と聞くと、途端に「軍靴の音が……」と虐殺や蹂躙などといった恐怖の対象として意図的に結びつける向きがあるが、これは明確な誤りだ。軍国主義とは「国策の最優先事項が軍事になること」を定義としており、歴史的に国家主義を前提としている。1648年のウェストファリア体制の産物である主権国家の礎となった国家主義は、王侯貴族の庶民への横暴を律し「人は人を殺してはならない」という開明的な価値観をもたらした。この国家主義の対義語がファシズムだ。ファシズムとは国家から超絶した存在として党がある体制のことをいい、国家を至上とする国家主義は成立していない。反対党や少数意見を認めない絶対的な権力者を戴くファシズムは、ウェストファリア体制以前の制度と言っていい。これに対し、国家主義を形成していく過程では、どうしても軍国主義が付随してくる。外国の干渉を排除するため、国内の反乱を鎮圧するためなどに、軍事力は必要不可欠だからだ。つまり、戦争に打ち勝って当事者能力があることを示すことが、主権国家である正当性を担保することになる。だから、国家主義と軍国主義は親和性がある。

「パーマストンの原則」をご存知だろうか。パーマストンは絶頂期の大英帝国の外交を30年間仕切った人物で、「たった一人の国民の権利を守るために、国家の総力を上げるのが主権国家である」という原則を確立した。1850年、ギリシアでイギリス国籍のユダヤ人が、反ユダヤ主義者に邸宅を焼き討ちされるという事件があった。これに対し、パーマストンは英国海軍を派遣し、ギリシア政府に賠償金を支払わなければ戦争すると脅す。このパーマストンの行動は、ヴィクトリア女王以下、政界の全員が非難したが、これがやがて文明国のスタンダードとなり原則となっていったのだ。自国民をいきなりテロで殺されたら、そのテロリストや仲間たちを匿っている国に対しては、ありったけのミサイルを打ち込んで政権を転覆させ、傀儡政権を作ってもいい。これが世界的な自衛権の解釈であり、現在の世界情勢においてもよく表れている。

こうした世界的な常識を向こうにして、わが日本はどうだろうか。集団的自衛権の行使が俎上に乗った途端、戦争になると騒ぎ出す左翼やマスコミ。成立はしたものの最低刑の引き上げがなかったことで世紀のザル法となってしまった特定秘密保護法。国家体制を守ることを至上とした軍国主義など夢のまた夢なのである。加えて、2014年3月5日の参議院予算委員会で、安倍総理は、憲法9条を検討した結果、自衛隊を北朝鮮に派遣できないと明言してしまった。パーマストンの原則を持ち出すまでもなく、自国民が拉致されたら戦争で取り返すことは国際法で認められている自衛権の行使であるにもかからわず。つい先日、イスラム国のテロリストによって人質に取られた日本人2人が殺されるという事件があったばかりだが、安倍総理が「絶対に許さない」と言ったところで、日本が持つべき軍国主義がいつまでもこの体たらくなら、今後も拉致・人質事件は絶えないのではないか。著者の倉山満氏が「日本は戦えない国」「自衛隊はこんなにも弱い」「戦後レジームからの脱却は絶対に無理」と綴るのは、何も脅しや煽りではない。いまこそ正しい軍国主義を国民全員が共有しなければ、日本という国は自衛権の発動はおろか「国民を見殺しにする国家」としてのレッテルを貼られ続けることになるだろう。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です