沖縄の不都合な真実

大久保潤・篠原 章

「日本の米軍基地のほとんどが沖縄に集中している。過重な基地負担を軽減しなければ沖縄の人たちが気の毒だ」。こう考えている人、特に本土の人は多い。しかし、2006年に日米政府間で合意に至った普天間基地の辺野古への移設に関して、多くの沖縄の人たちが辺野古移設に反対し政府に対して不信感を抱いていることは事実だが、事態は報道よりもはるかに錯綜したものであることを知らねばならない。たとえば、反対運動が功を奏して政府が辺野古移設を断念したとする。従来の報道に基づけば「沖縄の民意」が尊重されたことになるのだが、これにより沖縄に明るい未来が訪れることになるのだろうか。移設断念により普天間基地が固定化され普天間周辺の騒音問題は解決しない、目立った産業もなく米軍基地と振興資金に依存してきた辺野古地区の住民の多数は移設容認派、政府による沖縄の基地削減・負担軽減のプロセスが停滞するなどのポイントを考察すれば、沖縄県民全体にとっての移設断念がどのような意味を持つのかが透けて見えてくる。

基地反対運動は「沖縄の心」や「平和への願い」を強調しながら「基地反対・移設反対」を唱えるが、そもそも辺野古移設は税金の壮大な無駄遣いになるということが抜け落ちている点に注目しなければならない。近年の米軍再編計画により沖縄の海兵隊は徐々に削減されており、そう遠くない将来に半減すると予測されている。そのため、多額の血税を使って新しい滑走路を造ったはいいが、実際にはあまり使われなかったという顛末になりかねないのだ。一方、あまり報道されていないが、基地容認派は「振興策がほしい、振興資金がほしい」と明言している。沖縄経済は、基地と基地負担の見返りである振興資金によって支えられており、基地がなくなり振興資金がなくなれば、いくら観光業がかんばったところで沖縄経済は立ちゆかなくなっていくからだ。加えて、政府が基地反対運動を抑えるため沖縄振興予算を増額することで、日本国民の税負担が増えるということも忘れてはならない。

沖縄ではここ数年「構造的沖縄差別」という表現を用いて、日本政府のみならず日本国民全体を批判する傾向が強まっているという。「沖縄人」と「日本人」を対置し、「日本人」が沖縄における米軍基地の本土移転を拒絶しているのは、「日本人」の「沖縄人」に対する歴史的な差別意識が背景にある。この差別意識を取り払い、「日本人」は直ちに基地を持ち帰れ、という趣旨の主張だ。だが、基地縮小のための具体的なプランはなく、独立の志もなく、米軍基地削減後の沖縄についての展望もなく、ただ「日本人は基地を持ち帰れ」という言葉だけが先走っているのが実態でもある。こうした「沖縄ナショナリズム」の興隆がヤマトーンチュ(本土の人間)との亀裂を生み、日本政府がそれを受け入れ続けるかぎり、新たなる分断が現実のものとなる可能性がある。本書は、沖縄問題の本質を解き明かすと同時に、こうした沖縄におけるムーブメントにも強い警鐘を鳴らす、日本人必読の書だ。


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