日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

矢部宏治

米軍の飛行機は日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっているが、アメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行をしない。墜落したときに危ないからだ。つまり、米軍機は、沖縄という同じ島の中で、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばなけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行しているのだ。この不平等はいったいどういうことだろう。日本政府は、自国民への人権侵害を放置しているとはいえないだろうか。だが、政治家が愛国的な勇ましい公約を掲げ選挙で当選したところで、「どこか別の場所」ですでに決まっている方針により、そこから外れた政策は一切行えないとしたらどうだろう。敗戦後、「占領軍」が「在日米軍」と看板を掛け変えただけで日本に居座り続けているという現実は周知の事実。それを裏付けたのが、1959年に出された「砂川事件」の最高裁判決で、安保条約とそれに関する取り決めが憲法を含む日本の国内法全体に優越する構造が法的に確定した。この裁判のプロセスは、機知をどうしても日本に置き続けたいアメリカ政府のシナリオのもとに進行したとのことが、アメリカの公文書によって明らかになっている。

こうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は「安保法体系」と名付けられ、日本の国内法より上位に位置づけられ、それを根拠とした日米関係の構造は現在にまで至っている。この問題を考えるとき、もっとも重要なポイントは、いま私たちが普通の市民として見ているオモテの社会と、その背後に存在するウラの社会とが、かなり異なった世界だということ。そしてやっかいなのが、私たちからは見えにくいウラの社会こそが法的な権利に基づく「リアルな社会」だということだ。このことを視野に入れないと、「なぜ沖縄や福島で起きているあからさまな人権侵害をストップできないのか」「なぜ裁判所は誰が考えても不可解な判決を出すのか」「なぜ日本の政治家は選挙に通ったあと公約と正反対のことばかりやるのか」がわからなくなる。実際、米軍の特権を定めた日米行政協定をめぐり日米政府が交わした密約では、「安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに(略)米軍を使うことができる」「米軍の部隊や装備(略)なども、(略)地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由に行う権限があたえられている」と記述されている。国家の三要素とは国民・領土(領域)・主権だといわれているが、こうした状況で果たして日本は国家の要件を満たしているといえるのだろうか。

では、日本をアメリカに売り飛ばそうとしている勢力とはどこの誰のことなのだろうか。それは「安保村」という日米安保推進派の利益共同体のことで、財界や官僚、学会、大手マスコミが一体となって都合のいい情報だけを広め、反対派の意見は弾圧する言論カルテルとして機能しているのだという。その規模は原子力村をはるかに上回り、独立後は日米安保体制が中心となって国をつくったことを考慮すると、安保村とは戦後の日本社会そのものだとも言い切れる。その国づくり、さらに言えば、軍事・外交面での徹底した対米従属路線をつくったのが、実は昭和天皇とその側近グループであった。昭和天皇にまったく戦争責任がなかったというのは、日米(GHQと日本の支配層)が合同でつくったフィクションだったということを念頭に置かねばならない。1948年までの占領期前半に起こる「人間宣言」「日本国憲法の制定」「東京裁判」という重大事件の影の主役は、いずれも昭和天皇の戦争責任問題であった。昭和天皇ご自身は自分に戦争責任があることをご認識され何度も退位しようとしたが、結局マッカーサーが退位させなかったという。それは昭和天皇を利用して戦後日本をコントロールしようという有力なシナリオが早くから存在し、その路線が占領政策の中で最終的に勝利を収めたからだった。「天皇は平和の象徴である」との美名のもと、その実「ヒロヒトを中心とした傀儡政権(パペット・レジーム)」をつくりあげたのがアメリカで、それに便乗したのが安保村なのだ。

本書はさらに、戦後から現在に至るまでの日米関係の根幹となっている重要なポイントをえぐりだす。国連憲章第107条「このいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの懸賞の署名国の敵であった国に関する行動で、その行動について責任を有する政府がこの戦争の結果として取り、または許可したものを向こうにし、または排除するものではない」というくだり、いわゆる「敵国条項」だ。詳細は本書に譲るが、つまり日本はアメリカの「同盟国&属国」というよりも、より本質的には「同盟国&潜在的敵国」だったということがよくわかる。戦後の日本とアメリカの差別的で矛盾した関係については、類書が多く発刊されているということもあり多くの日本人が感づいているところだ。私もそのうちのひとりであると自覚しているつもりだったが、それでも本書を通して得られたのは驚きの事実ばかりであった。戦後の占領政策から安保村の形成に至る一連の流れは、もはやすべての日本国民が知らねばならない事実であるし、そうでない限り、日本が真の独立国家となることは永遠にできないであろう。


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