嘘だらけの日露近現代史

倉山 満

歴史とは、ひとりの人間が体験できない時間と空間を、事実に基づいて因果関係を説明する営みのこと。誰かが考えたどれかひとつの説明が正しいなどということはあり得ないものであるがゆえに、一般に「通説」というものが流布するようになる。著者の倉山満氏は、「嘘だらけシリーズ」を通じて、その通説の誤りを指摘しながら歴史の真実にたどり着こうという試みを行ってきた。今作の主役であるロシア(日露関係)についても同様だ。ただ、ロシアは、過去三作で取り上げた米中韓とはタイプが異なり、憎むべきだが学ぶところの多い強敵であるとする。米中韓は外国との約束も自分の都合で勝手に変更する、文明を知らない野蛮国であるとこき下ろす一方、ロシアは文明を知ったうえで約束を破る、あるいは破るために相手を熟知する国であると断言。なぜロシアは内政はハチャメチャなのに、激動する国際政治を生き残ってこれたのか。ロシアの歴史を詳しくなぞりながら、いつもの倉山節全開で日露関係を紐解いていく。

「何があっても外交で生き残る」「絶対に二正面作戦はしない」「受けた恩は必ず仇で返す」「約束を破った時こそ自己正当化する」。ロシアとはおおよそこうした特徴で成り立っている。いついかなる時も経済状態より安全保障を優先させ、戦争に勝つために国民が飢餓で死ぬなど日常茶飯事。また、あからさまな国際法違反をしておきながらも、必ず相手の過失を見つけ出して非を鳴らす。国境を飛び越えて挑発するから紛争が絶えなかった事実などなかったこととしているのだ。それでいて、現代国際法の進展(1899年と1907年のハーグ平和会議はロシア主導)には大きく寄与している。なぜそんなことをしたかというと、当時のロシアは財政難で戦争できなかったので、キレイごとで騙そうとしたからだという。つまり、ロシア人にとって国際法は人をだますツールでしかない。実際、冷戦期のソ連はことあるごとに「雪解け」とか「緊張緩和」といって時間稼ぎをしていた。

日露関係は、明治期の日露戦争から第二次大戦、東側陣営の盟主としてのソ連、プーチン体制下を通じて、複雑なポジショニングを続けていく。この間においてもロシアの法則は健在で、「二正面作戦はしない(バルカン半島情勢がおちついてから日露戦争を戦う、第二次大戦で日本が南進か北進かを見極める)」「弱い奴らを徹底的に潰す(ロシアは軍事力など外交の道具だと割りきっている)」などを次々に発動させる。レーニン、スターリンの時代からプーチンに移っても、「自分より弱いものの話など聞かずに叩き潰すが、強いものとは絶対に戦わない」姿勢は崩さない。本書の最後で倉山氏は、米中両超大国に小突き回され、朝鮮や韓国にすら舐められている日本は、プーチンのロシアのようにしたたかな国民にならなければならないと訴える。いまの平和ぼけした日本人の視点からは、ロシアはやりすぎだという反応しか返ってこなそうだが、本書が広く読まれることで国が国として生き残るための現実に目覚める第一歩となればいいと感じた。


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