神社に秘められた日本史の謎

新谷尚紀

神社とは何か。正月の初詣や七五三といった単なる年間行事の舞台だろうか、あるいは「困った時の神頼み」と言われるように危地に陥った際に他力本願を期すための場所だろうか。ある意味では当たっているだろう。だが、古墳時代前期(4世紀)には原初的な神社が成立していたという研究を踏まえると、現在の感覚で神社をとらえることはあまりに拙速であることに気付く。原初の神社とは、神を迎えて祀る「マツリ」のときに簡素な神殿が仮設され、神マツリが終わればそれが取り払われる「聖域」としてのヤシロ(屋代=屋を建てるための区域)のことだった。また、その神とは、ご神体と呼ばれ、山や石、滝などといった自然界のモノ、鏡、剣、装飾品など人為的なモノが対象となった。なお、神マツリの対象になっている神を祭神と呼び、氏神型(在地の氏族の祖など)、勧請型(大元の神の分霊を他所に移して祀る)、人神型(人間を神として祀る)に分類される。

本来、神社とは、氏族や国家などの集団単位で神々を祀るための施設であり、そこで個人が私的な祈願をするようなことはなかった。そもそも、古代においては、祭祀のない通常の日に、貴族であれ庶民であれ、個人が神社にお参りするという習俗はなかったのだ。したがって、神社に属する神職たちも、私的な祈祷に関与することはなかった。伊勢神宮に至っては、神前に幣物を捧げるのは天皇に限られるという「私幣禁断」の制が布かれていたという。しかし、平安時代半ばごろから、貴族たちが病気平癒や安産などの個人祈願を切望するようになり、平安末期になると、神社で私的な祈祷を受け入れ、これを下級の神職が行うようになった。江戸時代には「伊勢講」が結成され伊勢参拝が大衆化していったことからも、神社参拝は次第に日本人の一般的な習俗と化していったことがわかる。

本書はこのほかにも、伝来してきた仏教との関係、明治時代の神仏分離(廃仏毀釈)、意外に歴史の浅い宮中祭祀、神社神道と国家神道の違いなどについて、日本の歴史をなぞりながら解説していく。日本史を軸にした神社の解説書としての位置づけであるため、いわゆるパワースポットの紹介を主眼としたガイドブック的な要素は薄い。何度か参拝するうちに神社に関心を持ち、神社そのものについて知りたくなった段になってから手に取ると良いだろう。


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