戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか

池田信夫

「リベラル」とは、本来の自由主義とは違う意味で、主としてアメリカで定着した大きな政府を志向する人々を指す。これはヨーロッパでは左翼と区別されるが、日本では中道左派の人々が左翼という言葉を嫌ってリベラルと自称するようになった。また、反戦・平和を至上目的とし、戦争について考えないことが平和を守ることだという日本的左翼を「戦後リベラル」と呼んだりもする。彼らは戦後の論壇で主流であり、安保反対や大学解体などを声高に叫んできた。1948年に145大学の学生自治会で結成された全日本学生自治会総連合(全学連)を皮切りに、60年安保ののち中核派や革マル派などを生み、60年代後半には中核派が社学同(ブント)、社青同(解放派)とともに三派全学連として武装闘争の中心となる。羽田闘争や佐世保闘争などでは大量の逮捕者を出した。70年代になって新左翼運動が退潮してくると、党派同士で争う内ゲバが増加。身近の党派への近親憎悪が強くなり、国家権力という本来の敵を見失っていくにつれ自滅への道を歩むこととなった。

こうした戦後リベラルの急先鋒とも言える朝日新聞が、2014年8月に掲載した慰安婦問題についての特集記事で自爆した事件は、まさに戦後リベラル衰退を象徴する出来事だった。安倍政権による河野談話の見直しや朝日新聞幹部の証人喚問もありうるという危惧から、極秘の検証チームを結成し、吉田清治の証言などについて改めて韓国に取材するも裏付けが取れず、最終的に虚偽と断定。だが、木村伊量社長が謝罪に反対したことで強い反発を生む。「本質的な問題は女性の人権であり、強制連行があったかどうかは枝葉の問題だ」と開き直る朝日だったが、火に油を注ぐ結果となり木村社長は辞任。それにもかかわらず、後任の渡辺雅隆社長は「重く受け止めます」と答えるのみで訂正も謝罪もしなかった。これには朝日特有の社風が関係している。事実と違っていても訂正せず、ひとつの社論に向けて事実を集める、キャンペーン体質。普通のメディアに存在するバイアスのチェックが機能しておらず、極左的な記事を書いても通る傾向があったという。

本書は朝日の一件のみならず、平和憲法、反原発、労働環境などの側面から、なぜ戦後リベラルが社会を変えられなかったかに迫る。企業に雇用を保障させて年金、退職金で労働者を保護させる日本型福祉社会が成り立たなくなった時代となり、また、かつての社会党のような左翼のコアもなくなった。戦後70年を経たいま、「革新」という幻想はこれからどこへ行くのか。生活を改善する具体的な対策をついに出せなかった左翼に対し、ほとんどの国民は関心を持っていないという現実に、果たして左翼は気づいているのだろうか。


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