国土が日本人の謎を解く

大石久和

日本人は「流れる歴史」を持つ民族であり、ヨーロッパ人は「積み重なる歴史」を持つ民族。前者はきれいさっぱり流れてしまって改めて作り直さなければならず、後者は流したくとも積み重なってこびり付いているものの拘束から解放され得ないという宿命とともに生きている。この違いは街の景観に顕著に見ることができる。つまり、ヨーロッパは戦後復興などで建て替える際は昔の景観に戻すことを主眼とし、日本では建物は災害でいつかは崩壊する運命にあるからどんどん新しい意匠のものに替えられていく。さらに、両者は「人為観」と「天為観」という考え方の根本的な違いもある。人が何かをしなければ景観も何もかも一切変わらない。人が何かをすることで初めて何かが変わる。これがヨーロッパの人為観。これに対し日本は、洪水で人や建物が流され、地震で裂け目に叩き込まれ、津波に飲まれてしまう。人が何もしなくても災害で周辺状況が変わってしまい、景観も消えれば建物も消える。日本人の天為観はそのDNAに深く刷り込まれている。ヨーロッパでは変わらないことを大切にする文化、日本では変わることを喜ぶ文化が育った。

脊梁山脈から発している急流河川、全世界の0.25%でしかない国土にひしめき合う4つのプレート、広大な積雪寒冷地域などを厳しい気候条件を有する日本は、ヨーロッパと同じく広大な平野部を持つ中国やインド、中東などと比べても、その特異性が際立つ。主だったところでは権力を嫌う民族性を育んでいったことが挙げられる。その居住地が、高い山に囲まれた盆地であったり周囲を海や山で活動範囲を限定されていたりするため、ヨーロッパや中国などでは考えられない小さな生活単位しかなく、仲間内の徹底した話し合いによって地域をまとめるようになった。この規模の集落では全員が毎日のように顔を合わせる顔見知りであるがゆえに、後で解釈をめぐって紛議の起きやすい成文的な取り決めは忌避され、皆の話し合いによる申し合わせで物事が決められた。つまり、ヨーロッパでは市民憲章的な成文法に代表される「公」が生まれ、日本では「共」を発見し共々にあることを何より喜ぶ文化、話し合いで決まったことが何より優先されるという融合の文化を育んできたのである。

本書はこうした視点を軸に、個人の責任を明確にせずチームを組んで責任単位とすれば大きな力を発揮する日本人像に迫っていく。現代の私たちが「日本人的」と無意識に形容する事象の真相を穿ちつつ、こうした日本人の本来の姿は世界で猛威を奮っているグローバリズムとは相容れないものであると喝破する。日本人は、目的の明確な集団から離脱してしまうと信じがたいほどの情けない様相を呈してしまう。グローバリズムの根幹である「個」を貫こうとしても、本来の実力を発揮することができないのだ。短期間の成果主義を是とする企業統治、ぎりぎりとした競争が得意でない日本人に、西洋人が構築したスタンダードに染まれるはずがない。本書を通して、これからの日本人が本当に取り戻すべき精神とは何かに思いを馳せたい。


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