コミンテルンの謀略と日本の敗戦

江崎道朗

1917年に起きたロシア革命によってソ連という共産主義の国家が登場した。ソ連は「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」という世界の共産主義者ネットワークを構築し、世界「共産」革命を目指して各国に対する工作を仕掛けた。世界各国のマスコミ、労働組合、政府、軍の中に工作員、つまりスパイを送り込み、秘密裏にその国の世論に影響を与え、対象国の政治を操ろうとした。日本もまた、ソ連・コミンテルンの秘密工作によって大きな影響を受けていたわけだが、日本が死力を尽くして戦ったアメリカのルーズヴェルト政権自体が、コミンテルンの対米秘密工作にさらされていたのだ。まず共産主義とは何かだが、突き詰めて単純化するなら「生産手段を国有化して、一党独裁のもとで徹底した経済的平等を目指す考え方」だ。のちにロシア革命を成功させるレーニンは、戦争の根本的な原因は資本家階級にあるとし、資本家が資本主義に基づいて利潤を追求していけばマーケットが必要となり、それゆえマーケットの奪い合いで必ず戦争が引き起こされると考えた。平和を守るためには、資本家を打倒しインターナショナルな社会主義者の組織をつくり、プロレタリア独裁による世界政府をつくるしかない。このイデオロギーは生き続けており、共産党やそのシンパが「反戦平和」をことのほか力説するのはそのためだ。

さらにレーニンは、資本主義国の政治的指導者たちが労働者を戦争に追いやって殺していると、第一次世界大戦で崩壊したヨーロッパの人々に訴えた。そして、自国が戦っている戦争への協力を徹底的に拒否し、サボタージュ戦術をとり、自国をむしろ積極的に「敗戦への危機」へと追いやり、その危機的状況から内乱・革命を惹起し、それに乗じて権力を握るべきだと説いた。ブルジョアジーがいる限り戦争が起こり続けるのだから、戦争を抑止するためにも、武器を手にしてプロレタリア(共産党)独裁を実現する革命を起こさなければならない、つまり「戦争をなくすために闘争せよ」ということである。こうしたコミンテルンの戦術のひとつに「内部穿孔工作」が挙げられる。さまざまな組織に「細胞」という自分たちの仲間のグループ、つまりスパイを潜り込ませ、内部からコントロールすることを目指す工作のことだ。工作は労働組合などにとどまらず、マスコミや政府に対しても広く行われ、リヒャルト・ゾルゲ、尾崎秀実、ハリー・ホワイトらはその代表格と言えよう。

そして、見逃してはいけないのが「コミンテルンに従わぬ者は粛清されねばならない」、排除、粛清、抹殺が義務として課せられているということだ。粛清も非合法活動も異論を認めない言論弾圧も、自国を否定しソ連に忠誠を誓うことも、コミンテルンができた段階から明確に規約や加入条件に謳われ、組織論に組み込まれている。レーニンやスターリンによる粛清、毛沢東による粛清、東欧で行われた残虐な拷問や粛清、ポル・ポトが行ったカンボジア虐殺など、共産主義国では膨大な殺戮が繰り広げられ、1億人近くが犠牲となったのだ。日本に浸透しつつあったコミンテルンのスパイたちは、日本が戦争に突き進んでいく時勢を捉え、一般兵士レベルには反戦平和を訴える一方で、政府や軍部に入りこんで帝国主義戦争を引き起こし混乱させるべく暗躍する。一方では綺麗事を唱え、一方では戦争を煽り、戦争を起こさせ、それを終わらせぬようにする。議会や自由主義経済を否定し、全体主義的な統制への道を切り拓くことで、社会を分断し混乱させ人々の不信感と憎悪を高める。本書には、こうしたコミンテルンがいかに日本を操り敗戦へと導いたか、そのプロセスが余すところなく綴られている。


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