十字軍物語

塩野七生

11世紀終盤、イスラム教徒の支配下にあった聖都イェルサレムを奪還するため、ローマ法王の呼びかけにより十字軍が提唱されヨーロッパ諸国の有力諸侯がオリエントへと旅だった。以後、イェルサレムをめぐって約二百年間にわたって争われたキリスト教とイスラム教との間の衝突、交流、人間模様を圧倒的なスケールで描く。全三巻。

第一巻では、独仏伊の諸侯を中心に行われた第一次十字軍の模様が活写される。出発から小アジア踏破、アンティオキア攻略、そしてイェルサレム奪還まで、ゴドフロア、タンクレディ、ボードワンなど華々しい面々が、さまざまな確執を抱えながらも破竹の勢いで聖都を取り戻すさまは読んでいて痛快そのもの。まるで少年向けのファンタジー小説を読んでいるような錯覚を思わせる。だが、その後、この痛快劇は「歴史」というどんなに筆達者な劇作家でも書けない人間ドラマへと変貌する。

第二巻は、第二次十字軍の失敗からサラディンの登場によりイェルサレムを奪い返されるまで。第一次の頃の剛毅な諸侯が退場し、キリスト教側に人を得なくなっていく一方、イスラム側はこれまで個人プレーに走ってばかりでひとつにまとまらなかったのが、サラディンという強力な統率力の持ち主により状況は一変。徐々にキリスト教領が侵され、ついにはイェルサレム近郊のハッティンでの戦いでキリスト教軍は粉砕される。癩王ボードワン、バリアーノ・イベリンといった例外はあれど、キリスト教側の敗因の第一は有能な指導者に恵まないことだった。聖都を失ったキリスト勢の領土は、アンティオキア、トリポリ、地中海沿いの諸都市となる。

第三巻では、第三次から第八次までをやや駆け足で描く。“花の第三次”と呼ばれた第三次十字軍の主役は何と言ってもリチャード獅子心王だろう。彼は圧倒的なリーダーシップでそれまでバラバラだったキリスト教勢の指揮系統を一本化し、イスラム側の英雄サラディンと対する。このサラディンもシーア派とスンニ派で分裂していたイスラム教徒をまとめて対峙するだけに頁をめくる手も熱くなってくる。海側からの補給を重視して海港都市を次々と攻め落とす中、サラディンに襲撃されるが、リチャード率いる規律の取れた軍はそのたびに打ち負かす。最終的には両者の間で講話がなり、英雄同士の対決は幕を閉じた。

その後の十字軍は、正直目も当てられない状況となる。神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世が主導した第六次は別にしても(戦闘はせず講和によりイェルサレム奪還)、あまりの戦略性のなさ、情報収集の乏しさにより大軍を繰り出しても大敗北を喫してほうほうの体で逃げ帰ってくるという有様。特に第七次では全滅状態となり仏王ルイも捕虜になった。これで聖地を解放するどころか、現地のキリスト教徒も援軍に一切の期待を持てなくさせてしまう。結局、キリスト教徒最後の拠点となった海港都市アッコンを攻め落とされ、十字軍の歴史は終わる。

やや癖のある塩野七生の筆致であるが、少し読み進めてしまえばあまりの面白さで気にならなくなる。いや、この文体だからこそ歴史という底なしのロマンに浸ることができたと言うべきか。十字軍については言うに及ばず、その脇を固める中世ヨーロッパ社会、ローマカトリックとギリシア正教、そしてヴェネツィアをはじめとするイタリア海運国家の描写が実に生き生きとしており、遠い昔に世界史をなぞった私でもすんなりと物語に入っていくことができた。

それにしても、歴史は面白いと痛感させてくれたのは、第四次十字軍のくだりだ。聖都奪還に向け意気揚々としていた十字軍であったが、スポンサーであるヴェネツィアの意のままに動かされてしまい、ヴェネツィアの利にしかならない都市の攻略に向かわされ、最後にはビザンティン帝国を滅ぼしてしまう。援助してくれるヴェネツィアに対して頭が上がらない中、キリスト教徒がキリスト教徒に刃を向けその地を奪ったのだ。これには背後で様々な策動があったと読み取れるが、いつの時代になっても勝った者が勝者となることが示唆的に描かれている。この場合の勝者はもちろんヴェネツィアで、ローマ法王からも世論からも批難が集中した十字軍諸侯とは対照的だ。

全三巻と言えど全体的にボリュームがあり、読み切るまでやや時間をかけてしまったが、頁をめくる際の興奮はまったく衰えなかった。寝食忘れる、とはまさにこのことだ。それに、ただ単に面白かっただけでなく、歴史が私たちに示してくれる数々の教訓、そのほとんどが嫌というほど詰まっていた。聖堂騎士団の悲劇など、その最たるものではないだろうか。


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