ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪

今野晴貴

バブル崩壊後、年功終身雇用の終焉とグローバル経済の浸透により、かつて日本企業の良心であった家族的経営方針が消尽。その代わりに、IT関連を中心とする新興産業において、猛烈な収益向上のみを旗印に掲げ、従業員、特に新入社員をはじめとした若者を酷使する企業が次々と生まれていった。やがて、そうした企業の存在が明るみに出、社会問題となるにつれ、違法な労働条件で若者を働かせ人格が破綻するまで使い続ける「ブラック企業」と呼ばれるようになった。本書は、労働問題を専門に扱うNPO法人代表の今野晴貴氏が、ブラック企業の実態、跋扈するに至った経緯、その法的対策などを具体的事例とともに綴った意欲作だ。

まず、ブラック企業がいかにして若者を「使える人材かどうか選別」し、選に漏れた(役に立たない)者を「自発的に退社させる」かを、相談者(被害者)の体験を基に紹介する。ここで言う「選別」とは、数次の研修を通して各人の敵性の応じた部署に配する見極めのことではなく、文字どおりの“ふるい分け”だ。何に対してのふるい分けであるのかだが、これがブラック企業がブラックである由縁であり、つまり、上からの命令に文句ひとつ言わず盲従できるかどうかなのである。この場合、本人のスキルやビジョンなどはほとんど関係がなく、たとえ上司から無茶な命令を受けたとしても、黙って履行する。終電を逃そうが、食事の時間がとれまいが、残業代が支払われまいが、そんなことはまったく考慮されていない。このような仕打ちに対して「何かおかしい」と思わなくなった段階で、つまり、企業に「染まった」段階で、彼は晴れて「選別」されるのだ。

こうした非人道的な環境に身を置いていると、人は誰しも、若い新入社員は特に、激しい疑念を抱くものだ。そこで人事担当者は彼らに対して別の戦略を用いてくる。戦略的パワハラ。要は、「君使えないから」とスパッと首を切ることはせず、あからさまに達成不可能なノルマを課したりする嫌がらせ、カウンセリングを介した人格否定、ナンパやジャージ出勤、国語ドリルの強要などを通して、徐々に彼らを追い詰め、休職、自己都合退社へと追いやっていく。ここで自己都合退社とするのがブラック企業にとって重要なポイントであり、社会問題へと発展しそうな解雇、または雇用保険を適用せねばならない会社都合ではバツが悪い。したがって、大量に採用した新入社員のうち、ほんの一握りを「選別」するほか、不要な人材は意図的に精神を病むよう仕向け、自己都合にて退職させるのだ。

後半では、ブラック企業誕生の歴史的経緯(労使関係の崩壊)、日本型雇用に端を発するその構造、社会的対策などが詳細に論じられており、このままブラック企業を放置しておくと、やがて日本の企業文化が完全に損なわれ、これまで日本を支えてきた優秀な労働力が根底から崩れ落ちていくとの警告が発せられている。こうした現状に対し官民協同で立ち向かっていかねばならないのであるが、肝心の政府は積極的に動こうとしない(最近になってようやく気運が高まりつつあるが)。一般の労働者(被害者)が声をあげていかねばならないのだが、それについて今野氏は、「ブラック企業の違法行為を追及しても、ブラック企業そのものを変えるという発想がない」と語る。ブラック企業内で悪いのは会社ではなく自分自身という徹底した思想教育を受け続けてきたため、本来の悪玉を見出すことができなくなっているのだ。まるで共産国家と見紛うばかりの非人権的扱いであるが、これこそブラック企業におけるパワハラが「戦略」であるとする理由なのである。

企業経営者にしてみれば会社の利益に貢献できない社員は不要という論理は一理あり、その社員を切って代わりの有能な者をあてがえばいいという考え方も合理的なのかもしれない。しかし、それを今後の日本企業のスタンダードにしてしまっては労働者も困るし、何より日本の国力減衰につながっていってしまうところが問題なのである。かつての年功型企業形態にも問題はあったかもしれないが、生涯雇用する代わりに社員をじっくり育てていくという姿勢が徐々に実を結んでいって世界を圧倒していったのだ。ブラック企業は、将来的に有望な人材を、現時点で使えないからといって彼を破壊し廃人にした状態で社会に放り投げ返す。心に深い傷を負った彼はその潜在的な才能を一度も発揮することができず、一生社会の底辺として暮らしていかねばならなくなるかもしれない。ブラック企業とは、経営陣だけが儲け、有望な若い人材を破壊する仕組みであると同時に、日本の国益そのものを毀損するものであると理解しなければならない。


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