死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日

門田 隆将

2011年3月11日の東日本大震災発生後、未曾有の巨大津波に襲われた福島第一原発。その圧倒的な自然の猛威により全電源が喪失し、原子炉の炉心を冷却する術が失われてしまった。このまま炉内の温度が上がっていくとメルトダウン(炉心溶融)を引き起こし、ひいては堰を切ったように放射能が大気中に放出されてしまう。そうなってしまったら、福島はもちろん、東日本全域を人の住めない汚染地域へと変貌させてしまうだろう。福島第一原発所長・吉田昌郎の取るべき手段はひとつしかなかった。「俺たちがやるしかねぇ」。本書は、震災直後の福島第一原発を、何とか周辺地域への放射能被害を食い止めようと踏みとどまった男たちへの取材、インタビューを通して描いた骨太のノンフィクションである。

予備のディーゼル発電機を含め、すべての電源が喪失。国のエネルギー戦略の要を担う発電所において、想定外という事態は絶対に許されないのだが、その許されないことが実際に起きてしまった。それというもの、「まさか10メートル以上の津波が来るはずがない」という慢心とも怠慢とも言える東京電力の旧態依然とした体質にあった。だが、現場の作業員たちは誰に文句を言うでもなく、誰に責任をなすりつけるでもなく、目の前に突きつけられた悪夢に敢然と立ち向かう。電力が喪失したからには、人力で炉心を冷却するしか方法がない。原発作業員が、消防が、自衛隊員が、まさに自らの命を賭しての冷却作業に取り組む。吉田所長は彼らを断腸の思いで現場に送るとともに、テレビ会議で曖昧な返答を繰り返す東電本店の幹部に啖呵を切る。

こうした奮闘の最中、彼らの熱意溢れる使命感に水を差す事態が発生する。菅直人首相の現地入りだ。菅は原発敷地内の対策室に入るなり、いきなり怒声を発する。「なぜベントをしないんだ!」。炉内の圧を下げるため内部の気体を放出するベントの必要性については、現地の誰もが承知していた。ベントをするには、作業員を念入りに選別することに加え、放射線が放出されることにより周辺住民を避難させなければならない。また、作業員は皆、不眠不休の監視作業、復旧作業に追われており、疲労は極限に達しようとしている。そうしたデリケートな空気を引き裂くような菅の激高は、作業員を鼓舞することがあろうはずがなく、ただ彼らの使命感と自尊心を傷つけただけだった。現状を把握できていない東電本店、それと二人三脚できない原子力保安院の対応もまずかったが、それ以上に不運だったのが、当時の総理大臣が菅直人だったことだろう。また、菅は東電本店での演説で「逃げてみたって逃げ切れないぞ!」とツバを飛ばしている。彼は後のインタビューで現場の作業員を揶揄したわけではないと言い訳しているが、吉田所長をはじめ、現場で文字どおり血と汗と涙を流して奮闘している作業員を大いに失望させたことは言うまでもない。

それでも作業員たちは“決死隊”となって冷却作業に勤しんだ。消防車のホースを限界までつなぎ海水を使って放水したり、自衛隊のヘリコプターによる上空からの放水したりした。こうした彼らの頑張りにもかかわらず、1号機と3号機で水素爆発が起きてしまうことになる。少なからぬ放射能が大気中にまかれてしまうことにもなった。だが、対応次第ではあり得たチェルノブイリの10倍という甚大な被害、そして放射能により日本が三分割されていたかもしれないという最悪の事態は避けられた。これはいったい誰の功績によるものだろうか。

考えてみてほしい。現場で必死になって闘っていた作業員たちは家族がいるにもかかわらず、自らを犠牲にすることも厭わず暴走寸前の原子炉建屋に向かっていった。周辺住民は全員避難しているにもかかわらず、被曝の恐怖にさらされながらも現地に踏みとどまった。ほとんど食事も取らず一睡もしていないにもかかわらず、共に死地に赴く仲間だけを信じ不平不満は一切言わなかった。彼らの頭の中には「功績」だとか「勲章」という言葉などあろうはずがない。どんな逆境に陥ったとしても自らの職責を全うすることこそ“プロフェッショナル”であり、こうした掛け値のない行動こそ“英雄”と呼べるのではないだろうか。

いま現在も被災地では避難生活が続いており、被災者のご不便を思うと、東京でいつもどおりの生活をしている私が労いの言葉をかけることほど白々しいことはないと感じる。だが、少なくとも現地で起きたこと、それに立ち向かった人たちを知ることこそ、被災者ひいては原発作業員の痛みを共有できるのではないかとも感じる。先ほど私は吉田所長以下、作業員たちを英雄と称したが、その英雄だってスーパーマンではなく私と同じ「人間」なのだ。ぜひ本書を通じて、人間としての魂を揺さぶられる読書体験をしてほしいと切に願う。


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