フランス・ストラスブールを拠点に、トルコの少数民族の言語を追い続けている言語学者・小島剛一氏による実録記。主にトルコ東部に住むラズ人、ヘムシン人、クルド人、ザザ人などの言語を研究対象としている小島氏だが、研究調査活動の最中、「トルコ共和国にトルコ語以外の言語は存在しない」という立場を取るトルコ政府により国外退去されてしまう。ここまでが前著『トルコのもう一つの顔』で、本書はその後日談からスタートし、ギリシャからフランスまでの道中記で幕を開ける。たとえ国外退去されたとしても、小島氏のトルコ少数民族の言語に対する情熱が冷めることはなく、またそんな彼を頼ってコンタクトを取ってくるクルド人やザザ人などの難民は後を絶たない。その後、トルコ政府が「トルコは多言語国家である」と認めるに至ったことを期に、小島氏は20年ぶりにトルコへ。再び、クルド語域やザザ語域などでの調査に熱を入れることとなる。
本書は純粋な紀行書というわけではないし、かといって言語学メインの学術書というわけでもない。描かれているのは、ひとえに小島氏自身の行動力と情熱だ。トルコのどこに行っても言葉で不便することのない語学力はもちろんのこと、各地に伝承されている文化への深い愛情や歴史の理解、歌っているのを聴くだけで採譜できてしまうという音楽に対する造詣の深さには畏れ入ってしまった。また、正論を書いて投稿しているのに捏造して掲載した新聞社や、ラズ語の辞書を作成する段ではいい加減な編集により誤った内容を世に出してしまった出版社との間における、トルコ少数民族言語の存続と自身の名誉を懸けた激しいやり取りは読みどころであり、本書の核をなしていると言ってもいい。
トルコと聞くと親日国家を思い浮かべ、私自身観光で10日間ほど滞在したこともあって、印象はすこぶる良い。ただ、所詮それは外からの見方であり、トルコ自体を見極めたことには決してならない。その国や組織が内側に押し込んでいる暗部を知ることは、新聞やテレビなどのメディアを通してではなく、小島氏のように自らの足で地道に重ねてきた成果としての書籍でしかあり得ないのだろう。そういった意味で、民族言語から見たトルコをリアルに綴った本書は大作としても労作としても評価できる。観光で訪れる前に読むことはお薦めしないが、一度でもトルコに感心を持ったらぜひ手に取ってもらいたい一冊だ。なお、前著が未読でも十分に楽しめる編集がなされているが、読んでいればさらに楽しめることは言うまでもない(そう言う私は未読だが)。