司馬遼太郎

幕末期の越後長岡藩藩士・河井継之助は、ろくに出仕もせず論客を求め他国を周遊してばかりという、いわゆる藩の鼻つまみ者。そんな継之助ではあるが、時代の移り変わりを肌で感じ取り、藩を思い、そして自らの志を貫くことには誰にも負けない鋭敏な思考を持つ人物であった。やがて、鳥羽伏見の戦いが始まると、継之助は藩の財宝を売り飛ばして近代的な外国製兵器を購入。そして、戊申戦争中、もっとも苛烈であったという北越戦争へと身を投じることとなる。

巻末にて、作者の司馬遼太郎が「現代人がかつてのサムライを思い返すとき、そのイメージともっとも似通っているであろう人物を描きたかった」と語っている。その言葉の通り、全三巻のうち初めの二冊を継之助という人物にスポットを当てることに費やしており、裏切り、寝返りが当たり前だった時代の混乱の中で、決してブレない人物像を紡ぎ上げている。最終巻になると、泥や血、硝煙の匂いが漂ってきそうな凄惨な戦場の描写が主となり、官軍との激越な攻防戦の末、長岡藩、そして河井継之助は歴史の襞の中へと取り込まれていく。

司馬遼太郎の作品はこれまでに何十と読んだが、その中でも、若々しい華やぎはなくとも、晴天のもとで渋く黒光りような滋味を放っていると感じた。以下は、僕がそのことを最も強く感じた継之助の台詞だ。――『義兄サ、人間の迷信のうちでもっとも大きなものは歳ということだ。わしには歳などはない。』


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