悪の教典

貴志祐介

頭脳明晰で抜群のルックス、人をぐいぐい引きつけるリーダーシップを兼ね備えた高校教師・蓮見聖司。担任のクラスだけでなく、校内で揉め事があると率先して解決に乗り出す正義感の強さから、どの生徒からも慕われ、彼の周囲には彼に心酔した“親衛隊”がつねにつきまとっている。ほぼ理想の高校教師像を体現している蓮見だが、実は彼の内面は決して人には見せない、いや見た者は確実に死に追いやられるという漆黒で塗りつぶされていた。いまやサイコホラー文学の旗手ともいえる貴志祐介氏が、都内の私立高校を舞台にした戦慄のバイオレンスを奏でる。

廊下を歩けば女子生徒に呼び止められ、男子生徒からは兄貴分として頼りにされ、気弱な老教師が持ち込んだ面倒事にも快く対応し、人気に嫉妬の炎を燃やす教頭からの小言にも笑顔で応じる。だが、その笑顔と軽妙なジョークの裏では、すでに蓮見の快楽的殺人計画は進んでいた。まずは蓮見を快く思っていない体育教師をやり込めると、徐々に最終目的に向かって歩を進めていく。彼の計画に少しでも感づいた者がいたら、たとえ信頼している同僚であっても容赦せず排除していく。同年代で仲のいい男性教諭を飲酒運転に追いやって教職から追いやったり、同性愛者の美術教師の弱みを握ってその資産を我が手にし、蓮見の本性を見抜きかけていた教師は自殺に見せかけたトリックで消し去る。

そして、ついにそのときがやってきた。標的は、文化祭の出し物の準備で教室に泊まり込んでいる2年4組、つまり蓮見の担当クラスの生徒たちだ。自分に反発している生徒は一部いることにはいるが、ほとんどが信頼しきっており、まさか俺がお前たちを殺しに来たなどとは思わないだろう。絶望と恐怖で怯えている中、救世主として現れた俺の顔を見たらさぞかし安心しきった表情を浮かべることだろう。その緩みきったツラに銃口を向け、ひとりずつぶち殺してやる。蓮見は、猟銃を手に担当の生徒40人が作業をしている校舎へと入り込む。

黒い家」「クリムゾンの迷宮」など、貴志氏には、圧倒的な筆力で綴る情景描写からは緊張感と戦慄が禁じ得ず、軽い過呼吸状態になりつつもページをめくる手が止まらないという中毒性を持った作品が多い。映画化もされ話題性十分の本作もついても大いに期待を持って手に取ったのではあるが、やや拍子抜けしてしまった格好だ。ページをめくる疾走感のみを重視したとしか思えない構成(台詞だけの箇所がほとんど)、犯人の蓮見が殺人鬼になるに至った経緯に説得力がない、また登場人物が多すぎたため記憶に残りにくく人物像を掘り下げる前に消化不良といった感じで殺されていく。さらには、貴志氏の持ち味である衝撃的すぎるラストがすっかり影を潜めてしまったのは残念のひと言に過ぎる。言ってしまえば、ただ単に大量に人を殺す小説を書きたかったから書いたとしか思えないのだ。エンターテインメントとして割り切って読めば暇つぶしにはなるだろうが、本を読む際の醍醐味である深い読後感、余韻に浸りたいという方には正直お勧めできない。好きな作家だっただけに、次回作に期待するなどと寛大な気持ちになれないところが辛い。


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