64(ロクヨン)

横山秀夫

D県警に勤務する三上は、かつて刑事部にその名を轟かせた敏腕刑事で、いずれは刑事部長の椅子に付くと目されていたほどの男だった。だが、そんな中、警務部秘書課の広報官への異動を命じられ、県内で発生した事件・事故の発表をめぐって、マスコミ対応に追われる日々を送ることとなった。刑事部に未練を残した三上は、同課係長・諏訪ら部下との一体感を得られないまま、記者クラブとの間で最大の軋轢が発生してしまう。警察側が交通事故の加害者の実名を発表しなかったことに対し、地元新聞の記者が大反発し連名で本部長への要望書を叩きつけるという挙に出たのだ。これは警察側にとってあってはならないことで、警務部のキャリア部長・赤間から胃の痛くなるような叱責を受けた三上は、何とか要望書の提出を撤回させようと記者団の前に立ちはだかる。これがさらなる試練を生むことになる。

14年前の昭和64年。昭和が平成になるその前日に、D県で身代金目的の誘拐事件が発生。万全の体制で事件に立ち向かったD県警であったが、身代金2000万円はまんまと奪われ、さらに人質の小学1年生の女児が死体で発見されるという最悪の結末を迎えた。

この痛ましい事件、通称「ロクヨン」の時効が迫る中、東京から警察庁長官が被害者宅を訪れ、D県警の結束を固めるとともに、ぶら下がり会見にて事件解決に向けた意気込みを語るとの連絡が入る。当然のことながら、D県警の威信をかけた準備を進めていたわけだが、三上が記者団と揉み合いの中で不可抗力的に要望書を破ってしまったことから記者団の憤慨を買うことに。結果、記者団は長官のぶら下がり会見ボイコットを通告。長官の来県までもう数日とない。三上は、警察と記者団との情報共有を担当するという立場上、自らその腰を折ってしまった形となり、絶体絶命の窮地に立たされる。

だが、このとき、D県警に忍び寄る魔手に気づいていた者はほとんどいなかった。D県警はその存在意義を根底から覆される激震に見舞われようとしていたのだ。犯人逮捕に至らなかった「ロクヨン」の捜査において、D県警刑事部が外部に絶対に知られてはならず隠し通していた失態があった。被害者遺族を落胆させただけでなく、当時担当の係官までも重度のノイローゼしてしまうほどの失態だ。それこそが長官来県の真の目的だった。長官はぶら下がり会見にてこの失態を暴露し、落ち度のあったD県警刑事部から部長職を奪いキャリア人事にすげ替える口実にするというのだ。生え抜きの刑事部長は地元民の誇りであり信頼の証し、また一般刑事の夢でもある。それを霞ヶ関に奪われるなど言語道断だ。何としてでも記者会見は阻止せねばならない。三上がようやく記者団から長官はぶら下がり会見ボイコット撤回をもぎ取る最中、刑事部がボイコット撤回阻止に向け不穏な動きを見せ始める。警務部所属でありながら古巣である刑事部との板挟みに悶つつ、三上の奔走が始まった。

今回初めて横山秀夫氏の著作を手に取ってみたが、警察内部の緻密な描写や丁寧な人物設定に加え、無理な伏線が一切なく破綻することなく一気に読ませるストーリー構築は実に見事だと感じた。また、文章が非常に上手く、登場人物のセリフ、地の文すべてにおいて隙がなく緊迫感に満ちていて、650ページ近い大著であるが一文一文噛み締めながら読むことができた。全体的に、感情を剥き出しにした人と人との応酬の場面が多いのだが、そのやり取りからはまるで双方の唾や握り拳がこちらに飛んできそうなほどのリアリティを感じた。本書の内容としては、刑事が凶悪犯人を追う「捕り物」メインではなく、あくまでも警察内部に渦巻く人間模様を中心に描かれている。そのため、弾丸飛び交うテレビドラマの刑事物とは一線を画するが、それでも面白いと思わせるのはひとえに著者の圧倒的文章力といえるだろう。

なお、警察内部の闘争と並行して、家出をして行方不明となった三上のひとり娘・あゆみの残像をちらつかせる。父の無骨な顔と似た自身の顔にコンプレックスを抱いていた、あゆみ。なぜ、美貌の母・美那子に似なかったのかと恨み節を吐く、あゆみ。そのあゆみがいなくなり、三上家にポッカリと空いたひとつの穴の空白を埋めることができないまま、穴は次第に広がっていき三上と美那子をも呑み込もうとする。ハードボイルドな警察世界をなぞりながら、やつれていく三上と美那子の心理状態をも絡ませる横山氏の小説家としての力量は憎い限りだ。


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