私を通りすぎた政治家たち

佐々淳行

警察、防衛庁(防衛施設庁)、そして内閣と、長く「官」「公」に仕えてきた佐々淳行氏。官職を辞してからも国家危機管理をライフワークとし、在職中および退官後も政治家と付き合う機会の多かった佐々氏が、自身の政治家観を基に、歴代首相をはじめ、内外における数々の政治家を見極める。大きく分けて「ポリティシャン」と「ステーツマン」に分類され得る政治家。佐々氏は、権力に付随する責任を自覚している人をステーツマン、権力に付随する利益や享楽を追い求めてしまう人をポリティシャンと定義し、前者を本物の政治家としている。そんな佐々氏が見てきた政治家の中には、権力意志を持った心から尊敬できる人物がいた反面、権力欲ばかりのどうしようもない愚物、俗物も少なからずいたという。氏があとがきにて「最後の著作になるかもしれない」との覚悟を決めたうえで書き上げた意欲作だ。

面識のある政治家の中でいちばんの大物といえば吉田茂だという。朝鮮戦争が勃発した年の4月に東京大学に入学した佐々氏は、反戦・反帝左翼学生運動華やかなりし当時、暴力革命に反対し体制内改革を目指す「土曜会」を結成し、全学連に対抗する学生運動を展開。「占領憲法を廃止して自衛軍をつくろう」という主張を掲げ、大学卒業後、土曜会のメンバーとともに、日米安保を締結した吉田茂の邸宅に乗り込む。軍事的に属国状態が続いてしまう安保条約について難詰するも、経済力を高めないかぎり再軍備はあり得ない、それまではアメリカに守ってもらうのだと吉田に諭され、安保条約支持派になったという。また、吉田と志を共にする保守政治家は誰かと尋ねたところ、佐藤栄作を紹介された。当時は池田勇人全盛期で佐藤にスポットライトは当たっていなかったが、実際会ってみると佐藤の政治家としてのスケールの大きさに感銘を受けたという。この時から佐々氏の政治家観が芽生え始めたと見ていい。

こうした大物政治家をはじめ、国益を損なう政治家(いわゆる売国政治家)、将来を期待したい政治家など、実に多種多彩な政治家にまつわるエピソードがあますところなく綴られていてとても興味深い。そんな中、私が特に面白く読んだのが「憎めない政治家たち」の章だ。浜田幸一ら“お騒がせ”な政治家の中で、共産党の上田耕一郎・不破哲三兄弟が紹介されている。警視庁や防衛庁で危機管理畑を歩んできた佐々氏とは、言うまでもなく水と油の関係だ。もし共産革命が成就していたら、まっさきに粛清対象だろうとも。実際、1950年以来、半世紀にわたる論敵、宿敵だという。接点は、思想ではなく人物にあった。お互いまったくスタンスがぶれていないということ。敵同士、信念を貫き言動が首尾一貫していることを認め合っていたのだ。

政治家は国益公益優先でなければならないという佐々氏。氏の一貫した政治観を基に見た政治家像に加え、国家中央情報局の必要性を高らかに訴えるなど、危機管理の面から日本の政治を論じている点にも注目したい。


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