フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか

浦久俊彦

ベートーヴェンやモーツァルトは知っている、だがフランツ・リストという名を聞いてもその代表曲はパッと浮かんでこない。おそらくこれがリストという作曲家に対する、我が国における認識であろう。それもそのはず。リストは膨大な数のピアノ曲を作曲したが、その中で一般に知られているのは「愛の夢第三番」と「ラ・カンパネラ」くらいだ。さらに、リストはピアニストとしての名声に比べれば、ほとんど無名とも言っていい。評価されるどころか一部の有名曲以外は、ほとんど演奏もされない。リストは、取るに足らない通俗的な作品から深遠な宗教的な作品まで、ありとあらゆる作品を遺したが、通俗的な作品は軽視され宗教的な作品や交響的大作は理解されなかった。そんなリストだが、ピアニストとしてのリストが女性たちを熱狂させたアイドル的存在だったことは確かだ。神童と呼ばれパリで華々しくデビューしたリストは、その美貌だけでなく、ピアノに向かえば凄まじい集中力から発せられる響きの洪水に、社交界の名士たち、とりわけ淑女たちはただ圧倒された。その身のこなし、高貴な雰囲気にとどまらず、多くの人に絶賛された人柄や品の良さは晩年まで色褪せることなく、リストのもとに弟子入りを求める人々が後を絶たなかったという。

本書は、まるで科学の教養本のようなタイトルに引っ張られがちだが、どちらかと言うとリストという人物を多方面から眺めたストレートな伝記とすべきだと感じた。たしかに、リストの演奏を聴きに来た女性の多くが失神したと言うが、彼女らはリストの超人的な演奏テクニックに心酔し、新時代を予感させるリストというピアニストに自らの魂を委ね、失神させられたというより失神したかったのではないかと分析する。それについて、クラシックコンサートでは礼儀正しく間違っても失神などしないような紳士淑女が、株式市場での株価の乱高下に狂喜乱舞するような姿は、金銭という「もの」への欲望に溺れた「奴隷的民衆」の進化系だとする、着眼点はなかなかに興味深い。


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