映画術 その演出はなぜ心をつかむのか

塩田明彦

映画において、観るものを魅了する人物はどうのように描かれるのか。その作業における根本となるのが「動線」の設定である。監督は撮影現場に入ったとき、まず「動き」を見る。光の加減だとか、広さだとか、一軒家だったらそれは中産階級の家なのか上流階級の家なのかなどという目に見える部分はもちろん、その空間で人をどのように動かすことができるかを見る。動線の組み方を間違えなければ俳優は必ず素晴らしい芝居をしてくれるが、そうでないと不都合が生じて渉のいかない状況が起こってしまう。著者の塩田明彦氏は『西鶴一代女』を例に取り、身分違いの越えてはいけない一線にスポットを当て、そこに敷かれた動線を明らかにしていく。面白い映画というのは、こうした動線がしっかりと組み上げられている映画と言える。上辺で語られている物語がある一方で、それとは別の次元でもうひとつの物語がスタイルとして語られているからだ。

また、スクリーンに映し出される「顔」についての面白い見方を取り上げる。つまり、顔を物として捉えている。「役者が演じている顔」=「気持ちから導き出された表情」とは異なる次元に視線を移し、まさに顔でしかない、「この人の本性は永遠にこうである」というような顔として解釈する。例として取り上げるのはヒッチコックの『サイコ』。モーテルを経営している猟奇的犯罪者のノーマン・ベイツという男の「顔」に注目する。詳細は本書に当たってほしいが、ヒッチコックは二重人格を物語をして解決させないで、顔そのものに還元している。特に顕著なのがラストシーンにおける、母親の人格はミイラの母親の顔をオーバーラップさせ、一方鳥を愛する青年の人格は鳥みたいに顔を見せようという演出。塩田氏は、このシーンから、ヒッチコックは人を物として見ているし、顔を物として見ていると分析する。さらに、見つめ返してくる視線を奪ってしまうとどうなるかの究極のかたちを見出すことで、ヒッチコック作品の真相に迫っていく。

本書はほかにも、視線と表情、動き、音楽など、映画を彩るさまざまな要素をピックアップし、映画が訴えかけているメッセージをえぐり出すヒントを提示する。塩田氏が映画監督、脚本家ということもあり、私のような漫然とした見方しかできない一般のファンとは異なる、プロの視線は大いに刺激的であり、今後の映画鑑賞するにあたっての楽しみが増えた。なお、本書において私が共感したのは、塩田氏が映画とは「動きの創造」ではないかと語っている箇所。映画とは動きを見出し組み合わせ、ひとつの出来事をつくり出すこと。素人の意見ではあるが、これは「鑑賞者が映画の中に入っていく」、つまり「登場人物に感情移入する」ことにほかならないのではないかと感じた。たしかに、時間が立つのを忘れるほど面白い映画というのはそういうものであり、逆につまらない映画からはそういった感情の高ぶりは生じない。映画をよく観る方ならわかるだろう。映画が好き、あるいはもっと映画の深みを楽しみたいという方は、本書を手に取ってみてはいかがだろうか。


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