西洋史において、キリスト教と並ぶ基本的な構成要素が「王朝」だ。イギリスのスチュアート朝、フランスのブルボン朝、ロシアのロマノフ朝などは、その国の中心的な役割を果たしたとは言えども、西洋史全体の視野から眺めると時代的にも空間的にも極めて制限されたものと言わざるを得ない。そんな中、ローマ教皇庁と並んでたったひとつの王朝だけが、汎ヨーロッパ的な性格と重要性をつねに失うことがなかった。その王朝こそがハプスブルク家だ。13世紀から20世紀初頭までの約700年にわたり、ヨーロッパの政局にも文化の進展にも絶えず関わり続きてきたハプスブルク家は、その影響範囲をオーストリアばかりでなく、ポルトガルからポーランド、ドイツからイタリアそしてバルカン南部にまで広げていった。版図においてはさまざまな民族が含まれ、ゆるいヨーロッパ共同体あるいは国家連合として機能していた時代もあった。
「戦は他国にさせておけ。幸いなるオーストリア(ハプスブルク)よ。汝は結婚せよ」。ハプスブルク家はトルコやプロイセンとの戦いで敗北を喫することが多かったのだが、それでも700年にわたり大帝国を維持できたのは、この結婚政策が功を奏したおかげである。それまで田舎の小貴族に過ぎなかったハプスブルク家は、マクシミリアン1世が結婚によりブルゴーニュ公となると、子のフィリップをスペイン王女と結婚させる。フィリップの孫カール(カール5世)がスペイン王カルロス1世になると、ハプスブルク家はオーストリア、スペインにまたがる広大な領土を手中にし、英仏両国とローマ教皇庁領などを除外すれば、ヨーロッパのほとんどがハプスブルクの支配下と言っても過言ではなくなった。また、女帝マリア・テレジアは、16人の子を生み、内政改革や周辺各国との巧みな外交を展開しながら、台頭著しいプロイセンやロシアなどの脅威から国土をよく守った。ハプスブルク家は彼女の時代に一大頂点を迎えたと言っていい。
本書は、ハプスブルク家の興隆から大帝国成立、そして瓦解までを俯瞰していく内容となっているが、歴史書にありがちな無味乾燥な文章の列挙になっていないのは、著者である江村洋氏の語彙力、表現力の巧みさによるところ大であろう。マクシミリアン1世やカール5世、マリア・テレジア、フランツ・ヨーゼフなどの人物像をはじめ、誓約を結んだ同盟は必ず順守したというハプスブルク家の歴史を、テンポよく感興を高じさせながら読ませる手腕には思わず唸ってしまった。特に、マリア・テレジアの慈愛あふれる人間味、ハプスブルク最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフの悲哀には感じ入ってしまったほどだ。専門書ではないのでハプスブルク家のおおまかな全体像を捉えるにとどめられてはいるが、かつて世界史の授業で習ったことがあり人物名などかすかに覚えているのであれば、一度手に取ってみて損はないだろう。