日本の文化 本当は何がすごいのか

田中英道

日本の文化について語るには、その歴史的な積み重ねはもちろんのこと、日本という国の輪郭、文化の拠って立つ基盤には、自然環境が大きく影響していることを前提にしないと始まらない。四囲を海に囲まれた日本列島に入ってこようとも、大陸から離れているうえ厳しい海流のため、大変な努力や工夫、組織力が必要となる。そうした困難を乗り越えて日本に到達し住み着いた人たちの精神性が、以後形成される日本文化の源泉となった。この精神性でもっとも重要なのが「争わない」ということ。それは「人間性にあふれる幸福な状態」と言い換えることができ、それゆえ、争いの絶えない西洋や中国大陸では聖書や儒教などの形で道徳を規範として定めていたが、日本には道徳が文章として書かれてはいない(十七条の憲法くらい)。争いごとを避け「自然の中に生きている」ことを無意識に実践していた日本人が、自らのアイデンティティとしたのが「自然信仰」「御霊信仰」「皇祖霊信仰」なのだ。

この「自然信仰」「御霊信仰」「皇祖霊信仰」の要となっているが、神道である。日本人は「生かされている」という言い方をする。何に生かされているのかというと、神だ。キリスト教やユダヤ教、イスラム教などの一神教では絶対神とか全能の神というが、日本人の神はそのような遥かな高みに超絶した存在ではない。霊的で、近しく親しい存在。豊かな自然環境が生を喜ぶ感覚、現世を肯定する感覚を培い、生かされている思いが霊的な存在としての多くの神となった。さらに、この世を肯定する基本的な楽天性が、人間を神的な存在と感じる感性にもなる。人は死んだら神になる。これこそが「自然」「御霊」「天皇」を束ねる神道の真理であり、日本文化の根底に流れているものなのだ。

本書は、こうした分析をベースに、万葉集、運慶の彫刻、西行の和歌、古事記などを取り上げ、日本文化の構造を紐解いていく。なかでも、著者の田中英道氏が強調しているのが、こうした文化は一部の傑出した日本人だけによって成し遂げられたものではないということ。縄文時代にはすでに人々が土器を作る技術を持っていて、日本の至るところで発掘されている。それは、多くの人々が技術を持っていたことのほか、協力し合える共同精神を持っていたことによる。日本全国で同じ形状の土器や古墳が見つかっているのは、こうした「和の精神」が発揮されていたことにほかならない。和歌にしても高貴な階層だけの嗜みではなく、一般庶民にまで行き渡っていた。こうした平均的な文化力というものが、日本の高い文化をつくり出しているのだ。


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