著者の山村明義氏は、まず「日本が世界に誇れるもの」とは何かを読者に問う。現代に生きる私たちの脳裏に真っ先に浮かぶのは、世界に冠たる最先端技術や相撲や歌舞伎などの伝統芸能、万世一系の皇統を保持する悠久の歴史、あるいはアニメや漫画に代表されるサブカルチャーといったところだろうか。それはもちろん正しい。だが、山村氏はさらにもっと誇れるものとして日本人の「こころ」と「魂」を挙げる。それはつまり、もったいないの精神や清潔感、おもいやり、そして大災害時において発揮される「結びつき」などのこと。こうした日本人の高徳な精神性は、森羅万象を大切にする神道に基づいているというのだ。
神道。私にとって神道のイメージとは、家を建てる際の地鎮祭や必勝祈願のときのお祓いという、至極表層的なものでしかない。それは、私が神道、つまり神社を身近に感じることなく育ってきたことと同時に、数ある宗教のうちのひとつ、それも特定の人のみが信奉する宗教としてしか見ていなかったことの証左であろう。それゆえ、初詣などは寺への参拝するのが常である私には、神社とは賽銭箱の前でお辞儀をするやり方が寺とは違う宗教施設という漠然としたものでしかなかった。だが、本書を手にして神道の本来の姿について触れていくにつれ、私は神道に関する無理解、いや自らが日本人であることの自覚に著しく欠けていたことに恥じ入ることになるのである。
神道が持つ「共存共栄」の精神。これこそ、日本人がその長い歴史の中で、災害が起きても互いに助け合い、さまざまな神(特に仏教)をも受け入れ、終戦の瓦礫の中から大復興を遂げ、最近では東北の大震災で暴動など起こさず秩序ある行動をした。それはまさに、絶えず大自然からの脅威に晒される日本の風土が生んだ精神性であり、かつ、それを耐え抜き、そのつど再興を成し遂げてきた日本人そのものであった。この繰り返しが、「祓へ(お祓い)」と「禊(穢れを洗い流す)」を生んだ。そして忘れてはいけないのは、私たち日本人は、この日本、いや世界じゅうの安寧を祈ってくださっている天皇陛下を国家の柱石として戴いていることだろう。
本書は、いわゆる神道学を扱ったものではない。全国各地の神職(宮司など)200人にインタビューを中心に、本来あるべき戦前までの神道の姿、日本人が回帰すべき神道の理念、現代社会の病理と神道との関係などが、非常にしっかりとした文体で綴られた作品だ。こうした類の書は、とかく観念論に陥る傾向があり無味乾燥な文字の羅列になりがちであるのだが、身近な事例とともに語られているため実に読みやすい。読み進めていくうち、日本人とは歴史における「繰り返しの連続性」の中で生きてきたということが肌で感じられるようになってくるだろう。その象徴である伊勢神宮が今年、式年遷宮を迎える。このタイミングで本書と出合ったのも何かの縁だろう。夏休みが取れたら参拝しに行ってみたいと思う。