神代の時代から今日まで続く日本の天皇は世界唯一の存在である。人類史上、ほかのどのような文明圏や国家、民族にも日本の天皇のような存在はない。文明の栄枯盛衰、国家の興亡にともなって、主力民族が交替するたびに最高の権力者も変わるのが歴史の鉄則だが、日本だけが例外だった。同じ東アジアの国でも中華帝国やその属国である朝鮮は、王朝の交替にあたっては前王朝に対する皆殺しが行われ一族が誅滅されるのが歴史の常であり、徳のない前支配者から徳のある自分たちに天下を禅譲されたという形を取る「易姓革命」という論理で自分たちを正当化していた。
だが、日本においては、たとえ天下を二分する争乱が起きたとしても、互いが憎悪や不信に駆られて徹底的な殺戮がなされるということはなかった。それは、天皇という「家長」のもとで、日本人同士が強い同胞意識を持っていたからであり、日本国民は貴賎を問わず、この神聖なる天皇という存在の「赤子」であることを喜び、国家と国民が一体感を持っているからなのである。それゆえ、明治維新では「尊皇攘夷」の旗のもと、大政奉還、江戸城開城、廃藩置県という国の大事が無血のまま行われ、近代化を成し遂げることができた。しかも、榎本武揚や大鳥圭介など、幕府側について本来朝敵だった人材も新政府の要職に据えたのである。これは易姓革命を是とする中華世界では絶対にあり得ないことだ。
では、天皇の何がすごいのか。言うまでもなく、神代の天照大御神を祖神として、神武天皇から続く「万世一系」の皇統を2000年以上にわたって保持しているという権威と伝統だ。だから、応仁の乱、戦国時代を経て皇室は弱体化したといえども、徳川家康をはじめとする武家政権を打ち立てた将軍たちが、天皇に取って代わるなど及びもつかないことであった。将軍がいかに実力で皇室を押さえていたとしても、ただ敬して遠ざけることしかできなかったのである。
こうした連綿と続く皇統に基づいた日本皇室に対する世界的な敬意は計り知れないものがある。世界史上の奇跡と言っていい天皇を国賓として招くということは、友好を他の国に印象付けることができるだけでなく、招待が可能な国であるという能力(治安や利便性も含め)を他国にも誇示できる。エリザベス女王即位60周年記念行事では別格の待遇を受け、またアメリカ大統領が最上級儀礼を示す世界でたった3人の1人になっている(ほかの2人は英国女王とローマ法王)。天安門事件後の訪中や国家主席就任前の習近平との会談など政治利用されることもあるが、天皇とはその権威という側面のみならず、天皇皇后両陛下のお人柄や日本国民から受けている絶大な尊敬により、外国においても周知の事実とされており、また羨望の的でもあるのだ。
国の誇りとはどこの国でもあるものであるが、日本は万邦無比の誇りを持っている。つまり、それは万世一系の天皇を戴いているということである。これをすべての日本人が共有した瞬間、私たちは自虐史観から脱したと初めて言えるのではないだろうか。