近隣諸国からの軍事的挑発行為がますます苛烈さを増す昨今、自衛隊の国防軍昇格、集団的自衛権の容認、防衛費増額といった議論が盛んになっている。そんな中で、自衛隊の装備品供給を担う国内の防衛産業が、国防という尊い事業を遂行しつつも、つねに資金・設備・人員がギリギリの状態で歯を食いしばっている現状を誰が知っているだろうか。本書は、ジャーナリストの桜林美佐氏が、岐路に立つ防衛産業の実態と安易な武器輸出三原則緩和がもたらす落とし穴について綴った警告の書だ。
前半部分は自衛隊装備品の製造に携わる企業や町工場の現状、後半部分は武器輸出や防衛産業の課題などについて書かれているが、新聞やテレビであまり知ることのできない内容に触れられているのはやはり前半部分だろう。戦後一貫して兵器製造に勤しんでいる家族企業、経費削減の嵐で安い中国製に浸食されつつも自衛官の誇りである制帽を一つひとつ手作業で縫い合わせていく女性たち、これまでの指名制から一般競争入札へ移行したことで大幅なコストダウンを余儀なくされるも高い使命感で振り切る重工業企業群。彼らはまさに身を切るような状況に置かれながら物作りに励んでいるわけだが、それでも「国防に携わっていることを誇りに思います」と胸を張る。
その一方で、とある防衛関連製造企業の社長はこう語る。「ここ数年、電球が微妙に細くなっているんですよ」。一般人では見分けの付かないレベルの違いではあると言うが、制服や車両、艦艇など自衛隊の装備品に関しては、その数ミリの差が生死を分ける。社長は、ガラス吹きの職人が年老いてきて肺活量が弱くなっているからだろうと推測する。農業や伝統工芸の現場でも同様であるが、こと防衛産業においても職人の高齢化、継承者の不足は避けられない。それは単に技術の継承が途絶えてしまうだけでなく、自衛官の生命線である装備品が自国で作れないということとなり、外国に代替品の供給を頼らればならなくなる。それはつまり、自衛官の生命を他国に委ねてしまうこととなるのだ。
この問題は武器輸出三原則緩和ともリンクしており、引き合いがあるからと言って、安易に外国に売り飛ばすことをしてしまうと、結果的に日本が脈々と築きあげてきた防衛技術基盤を大いに損ねることになってしまう。特に、防弾チョッキなどは車両や艦艇とは異なり、革新技術をブラックボックス化することができないので、輸出すなわち技術移転となってしまう。ということで、政府は武器輸出三原則緩和が防衛産業復活の切り札と考えていたとしても、現場では消極的になる可能性が高いというのだ。
だが、そうも言っていられないのが現実だ。実際、東南アジア諸国からは中国からの高まる侵略行為に対抗するために、日本の優れた装備品やその整備能力が求められている。著者の桜林氏は、いきなり戦車や大砲を売ろうということではなく、ニーズのある各種部品(ライセンス国産部品含む)や輸送機、車両など汎用性の高いものから始めるのが現実的だと訴える。なにせ、古い装備品を長持ちさせている日本の整備能力や日本が製造した部品は、新興国にとって垂涎の的だからだ。
折からの予算縮小で(今年度は多少増額になったが)青息吐息の防衛産業を救う手立てはもしかしたら戦争をすることしか残されていないのかもしれない。だがしかし、戦後の焼け野原の中から裸一貫立ち上がり祖国の復権を夢見て防衛産業に人生を賭けた人たちは、決してそうしたことは望んでいない。戦争の抑止力とは戦力の均衡。先細りしていく一方の自衛隊とその装備品の現実を重く見、それを支えるには何が必要か。それは、いまこそ私たち一般国民が日本が置かれている国際政治に関心を持ち、領土・領海の保全に関する健全な知識なしには国が持たないという危機感を共有せねばならないという堅固なる意志なのだ。