さよならパヨク

千葉麗子

東日本大震災後、子供時代を過ごした福島のために立ち上がった千葉麗子氏。原発事故に対する政府の対応にいてもたってもいられず、経産省前でシュプレヒコールをあげる人々の集まりに足を運ぶようになる。政治的な意図はなく、ただ福島を思っての参加であったが、やがて首都圏反原発連合の顔となり、グループを構成している左派系の活動に強い影響を受ける。さらに、レイシストをしばき隊やSEALDsなどで活動していた「ぱよぱよちーん」なる人物と不倫関係に落ちたことで、ますます左派の思想に染まっていったという。あくまでも純粋な気持ちで脱原発を訴えていた千葉氏だったが、活動していくにつれ参加者は激減し、周りは共産党関係者だけになっていたことに違和感を覚えていく。平成25年12月、首都圏反原発連合をはじめとした左派系活動への参加を一切やめ、ぱよぱよちーんとも縁を切る。その後、右翼民族派「民族の意志同盟」の街宣に参加したことをきっかけに愛国運動に目覚め、現在に至る。

千葉氏がパヨク(左翼を揶揄したネットスラング)から離れた理由として、以下のように語っている。「彼らが本心から原発のことを考えて行動しているわけではないという疑念がありました。原発事故や福島の状況を理解し、共感しての行動ではなく、原発問題を訴えると注目される、つまり政治的目的などのために脱原発を主張し、その運動に乗っかり、利用しようとしていたのではないかということです」。ほかにも、元アイドルで芸能界経験者ならではの直感で、芸能人や著名人がよく脱原発の集会に参加してパフォーマンスするのは、話題性を狙った売名行為にほかならないと見抜いていたと語る。また、集会やデモにラップやダンスを取り入れ(これは日本共産党の得意技らしい)、必死に「原発反対!」と叫んでいるときに沖縄民謡やサンバが始まったときには本気で怒りを感じたという。このあたりも、パヨクの正体に気づき見切りをつけた理由のひとつだろう。

右派にあってパヨクにないもの。それは、国家や社会があって自分たちがあるという自覚の有無である。思い切り左翼に染まった千葉氏だからこその、説得力ある意見だと思う。学校やテレビから日本は侵略国家だと教え込まれ信じ切っていたものの、大人になってネットや本を通して事実を知り愛国に目覚める。保守運動に参加する若者の大半がこの流れではないだろうか。かくいう私もそうだったし、この逆のパターンはほとんど聞いたことがない。本書を通じて、通過儀礼とは言いたくないが、思想矯正にはある程度の「毒」が必要なのではないかと感じた。だとすれば、一時盛り上がりを見せた脱原発運動に傾倒した大勢の人たちは、国家や社会について考え直すいいきっかけを得たのではないか。千葉氏には、気づき始めた人たちの先導役を担う“現役アイドル”としての活躍を期待したい。


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