埼玉県行田市に本社屋を構える、こはぜ屋。創業以来100年、綿々と足袋製造を生業として続いている老舗だ。しかし、和装に変わって洋装が主流になって久しい現在において、足袋の需要はとっくに底を這い、祭り衣装なども手がけてはいるがこちらもジリ貧。長く収益の柱だった地下足袋も安全靴に取って代わられ、売上は減少傾向が止まらない。社長の宮沢紘一は、従業員27名の雇用と生活を守るとともに100年ののれんを掲げる会社の起死回生を図るべく、銀行や得意先周りを続けるが、時代の流れという逆風を痛感させられる毎日。主要取引先である百貨店が売り場改装により取引が大幅に削減されることをはじめ、各地の得意先でも同じような現実を突きつけられた。ため息ばかりの宮沢だったが、とある百貨店のスポーツ用品売り場の運動靴コーナーで、ふと目を引かれるものがあった。それは奇妙な形をしたシューズだった。一般的なシューズは先が丸いのだが五本の指が付いていて、さらに踵部分のクッションが高くなっているべきところがべったりとしているのだ。気になった宮沢はさっそく店員に聞いてみると、裸足感覚で地面を掴んで走ることができるタイプで人気商品なのだという。原理は地下足袋と一緒だ。地下足袋をランニングシューズ用に改良したら受けるかもしれない。宮沢は新規事業開拓の糸口を見つけた心持ちがした。
かつてこはぜ屋でも手がけていた、マラソン足袋を復活できないかと模索しはじめた宮沢。埼玉中央銀行の融資担当の坂本に相談してみたところ、知り合いにランニングのインストラクターがいるとのことで紹介してもらうことになった。横浜でスポーツ店を営む有村に引き合わせてもらうと、例の五本指のシューズについて聞いてみる。すると、足袋そのものはランニングに向いていて健康にもいいという。足の中央付近あるいは足の先で着地する走り方が、踵から着地してつま先で蹴るヒール走法より速く走れ、故障も少なく、それこそが人間本来の走り方だからとのことだ。宮沢は一条の光明を得た。その後、有村に誘われ品川の京浜国際マラソンを見にやって来た。レースがスタートすると、場内のモニターで一緒に観戦していた息子の大地が、ある選手に注目する。ダイワ食品の茂木裕人だ。モニターでは、茂木が彼のライバルである毛塚に追い抜かれ、膝を気にしながらうずくまる様子が映し出されていた。ため息をつく大地の側で、宮沢はランナーたちの足の運びを注視していた。
翌朝、こはぜ屋に静かな転機が訪れる。経理担当の富島が倉庫を片付けている際に見つけたという、かつて製造していたマラソン足袋。何気なく足袋を裏返してみると、貼り付けられたゴムの靴底に商品名がエンボスされていた。「陸王」。即座に直感を得た宮沢は、「今度開発する足袋の名前、『陸王』にしないか」と一同に告げる。ここに、こはぜ屋の命運をかけたプロジェクトがスタートするとともに、零細企業が巨大企業アトランティスとの苦闘の道へと足を踏み入れることとなった。繭を活用した新素材の特許を持つ飯山とライセンス契約を結び、さらに注目の茂木に履いてもらってニューイヤー駅伝に出場してもらうなど、滑り出しは好調かに見えた。だが、アトランティスによって、素材を提供してもらっている業者を引き抜かれたり、こはぜ屋の経理状況を茂木に伝えて揺さぶりをかけるなど、あの手この手で横槍を入れられる。そのうえ、飯山が持ち込んだ素材製造用の機械が故障してしまい、早々に設備投資をするか新たな取引先を見つけない限り、陸王を製造することができなくなってしまった。こはぜ屋に1億円もの設備投資をする余裕はない。焦る宮沢に、アメリカを拠点とする新興アパレル企業フェリックス社から買収の提案が持ちかけられる。100年ののれんを守るか、陸王の製造ラインを止めるか。宮沢に決断の時が迫る。
気骨があり人情味あふれる主人公、無気力だがここ一番で本気を出す現代っ子、気難しいが誰よりも社長を信頼する経理担当、素朴ながらも熱意の高い従業員たち、そしてわざとらしいほど意地の悪い商売敵。本作もわかりやすいくらいに池井戸節満載だ。どちらかと言うと、起伏に富んでいるとはいえず、ピンチから逆転に至るまでの経緯が割りと平坦な印象を受けたが、それでも爽快な読後感はこれまで通り。また、毎作人物像やストーリー展開がパターン化していることも否めないが、先の展開が気になりどんどんページをめくらせる構成力はさすがだ。読者である私も、感情移入でき憧れを抱ける魅力的な人物に出会うために毎回池井戸作品を手にしていると言っても過言ではない。もうこの時点で池井戸氏の次回作を読むのが楽しみになってきた。