真冬の向日葵 ―新米記者が見つめたメディアと人間の罪―

さかき漣、三橋貴明

舞台は、出口の見えないデフレ経済に苦しむ2000年代後半の日本。時の与党は、公共事業を中心とした経済政策で景気回復を図るが、マスコミからの情報戦により支持率を落としに落とし、ついには衆議院選挙で惨敗してしまう。国民から絶大なる人気を得ていたはずだった自民党の政治家が、なぜ国民からの信頼を失い政権を民主党に明け渡してしまったのか。政治・経済・報道の面からストーリー仕立てで検証する。

巻末には「この作品はフィクションです」との但し書きがあるが、この作品は紛れもなくノンフィクションだ。安倍政権の終焉から福田・麻生を経て衆院選で民主党に惨敗するまで、マスコミから揚げ足取りとしか言いようのないバッシングを受け続け、国民の判断を誤らせる結果となってしまった経緯が、名実ともにわかりやすく描かれている。「総理は漢字が読めない」「国営マンガ喫茶」「カップ麺の値段を知らない」などというフレーズを覚えている方は多いだろう。

そうした政治状況の中で、主人公の一之宮雪乃は、大手新聞社の新入社員として働きながら、自社ならびに他の報道機関がこぞって自民バッシングを続けていることに疑問を抱く。そのまさに渦中にある朝生総理大臣(麻生太郎がモデル)とひょんなことからメル友になった雪乃は、メールのやり取りを通してデフレ期における正しい経済政策を学んでいくうち、叩かれるべきは事実無根のデマを垂れ流すメディアにあると気づき始める。そして、リーマンショックで世界経済が冷え込む最中に開催されたG7において、雪乃の不信感が頂点に達する事件が起きる。

いわゆる酩酊会見。IMFに史上最大規模の支援を行い世界から賞賛を受けた後に行われた記者会見にて、財務大臣が泥酔状態でインタビューを受けるという大失態を晒したというあの事件だ。財務官僚ならびに新聞記者らとの軽い酒席で、不可解な体調不調を訴え会見をキャンセルしたはずの中井大臣(故・中川昭一)。しかし、なぜか本人は会見の場にいた。両脇に財務官僚を伴って。ぐでんぐでんの状態で記者からの質問に応じている中井の映像が世界中に流れる。これを見た日本国民は一気に自民党不信に陥ったのだった。

結局、総選挙で与党の座を民主党に明け渡し、さらに選挙後間もなくして、中井が不審死を遂げた。酩酊会見以降も中井の潔白を信じ取材を続けていた雪乃は、彼の葬式に列席するや人事不省に陥りそうになるが、かつてのメル友・朝生からの励ましにより立ち直り、自らの決意を伝える。「私は他人からの情報を鵜呑みにせず自分自身で考え判断することで、歪んだ情報に立ち向かう」と。

こうした一連のネガティブキャンペーンの正体は、「空気」であると著者の三橋貴明氏は説く。自分はこう思うんだけど、どうしても周りの流れに巻き込まれてしまって結局迎合してしまう。空気読め、の「空気」だ。日本人にとっては、もはや生理現象と言ってもいいかもしれない。もちろん、その空気の源となる本当の黒幕は他にいるわけだが(たとえば利権団体、財務省、外国人勢力・・・)、いまは国民が自らの判断をすっかりメディアに委ねてしまっている、つまりメディアを過信している現状のほうを重く見ねばならない。折しも、今月16日に総選挙が行われる。「脱原発」「TPP」「増税」を無理やり選挙の争点にしようとしているメディアの報道は疑ってかからなければならない。やつらは「空気」をつくろうとしている。


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