希臘から来たソフィア

さかき漣、三橋貴明

曾祖父の代からの地盤と名声を受け継ぎながら、若さゆえの増長により有権者の支持を失い総選挙で落選してしまった橘航太郎。“選挙浪人”となってしまっただけでなく、後援会のメンバーと大げんかしてしまい次第に孤立していく。そんな中、航太郎は祖父の部屋で発見した日記に目を通すうち、米国留学中にたたき込まれ先の選挙戦で訴えて続けてきた新自由主義的な経済政策(グローバリズム)がいかに国民軽視のものであったことに気づき、持続的な経済成長を前提とした「経世済民」の思想へと目覚めていく。

一方、経済危機によりユーロから離脱したギリシアから留学生として日本にやって来たソフィア・ヴァシラキ。彼女は絶世の美人でありながら誰に対しても歯に衣着せぬ言動を連発し、国家間の境界線などなくして世界市民となるべしという典型的なグローバリスト。日本人の母を持つハーフではあるが、日本の風俗を受け入れることができず、口を開けば日本は文化的にも人間的にも閉鎖的だと憎まれ口を叩く始末だ。

そんなふたりが、次期衆院選に向けて準備中の航太郎の選挙事務所にてソフィアが社会見学をするという形で出会いを果たす。航太郎はソフィアの美貌にはっとするものの、そのストレートすぎる性格に閉口。特に、グローバル主義こそ正義といわんばかりの彼女の論調は、航太郎自身覚醒し始めていた国家観を真っ向から否定するものであり平静を装って自説を語りつつも嫌悪さえ覚えるようになる。

だが、明治神宮での結婚式参加、伊勢神宮詣で、そして日本初の女性総理大臣霧島さくら子らと会見をとおして、ソフィアは次第にギリシアが経済危機に陥った直因、それから今後ギリシアが経済的にどう立ち直るべきかのヒントに気づき始めていく。

そしてやって来た衆院選。厳しい選挙戦を闘う航太郎の必死の訴えにもかかわらず、状勢は依然として相手候補が有利。選挙前日の最後の訴えの場でも、相手候補の差し金と思われる聴衆からの激しい野次に晒される。絶体絶命の状況となり感情を爆発させる寸前にまで陥った航太郎だったが、突如として登壇したソフィアによる国家の存亡に関する一刀両断的なスピーチで状況は一転。見事、当選を勝ち取る。

コレキヨの恋文」「真冬の向日葵」に続く三部作の完結編。「コレキヨの恋文」がデフレ対策を主眼に現代の総理大臣と昭和初期の大蔵相・高橋是清との邂逅を描いたSFチックな展開、「真冬の向日葵」がマスコミによる意図的な政治不信報道を綴ったドキュメンタリー的な内容であったのに対し、今作は政治を舞台にしてはいるものの教養的な面の色彩は比較的色彩が薄く、航太郎とソフィアのラブストーリーがメインとなっている。そんな中でも、共著者である経済評論家の三橋貴明氏ならではの新古典派経済学批判、グローバリズムの限界についての理論が散りばめられているところは傾注に値する。

前作、前々作が政治経済面でのバランスが取れており教養書としてのクオリティが高かったせいもあり、どうしても今作は存在感が薄れた感が否めない。純粋にラブストーリーとして読むとしても、取って付けた感があり情緒的に共感を得られる奥行きに欠けていたと言わざるを得ない。いい意味でのライトな読後感は保証するが。

ではあるが、この経済小説三部作のフィナーレに、ギリシアを題材に選んだところに妙味があるのではないだろうか。世界の文明・文化・風習を均質化し巨大市場化すれば誰もが豊かになれるとの触れ込みが、実は幻想であったことが満天下にさらされたグローバリズム。そのグローバリズムの犠牲者であるギリシア。日希ハーフという出自に揺れながらも日本という悠久の歴史と文化を持つ国で国家観を取り戻し、通貨暴落の憂き目に遭っている祖国が立ち直っていくための礎になろうと決意するソフィア。そして、グローバリズムがいかに国民不在の議論であったことに気づいた航太郎。今後日本が歩むべき道、歩んではならない道、その両方が示唆的に描かれていたことに深く思いを致すべきであろう。


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