超・技術革命で世界最強となる日本

三橋貴明

「国家の経済力」とは、需要者(国民)が必要とするモノやサービスについて、国内の企業や政府、そして人材が供給する力を意味する。その力の源泉が技術の蓄積であり、日本は戦前他国から侵略を受けたことが元寇を除いてなかったため、人々が安心して投資を蓄積し技術力を向上していける環境が1000年単位で継続していた。伊勢神宮の式年遷宮で1500年以上昔の建築技術を継承していることがその好例だろう。では、この技術の蓄積がなくなってしまうとどうなってしまうのか。著者の三橋貴明氏は、日本は他国にものやサービスの供給を依存しなくてはならない発展途上国に転落するだろうと警告する。そもそも供給能力は「設備=モノ」「人材=ヒト」そして「技術」という3つのリソースから成り立っており、そのうちひとつでも欠けてしまうと、その国は国民の需要を自国で満たすことができなくなってしまう。発展途上国とは、国民経済の供給能力が不足しているため、基本的に経済はインフレ基調(かつ貿易赤字)で推移する国のことで、これはつまりインフレギャップが拡大していくということなのだ。

このように、技術の蓄積、あるいは技術への投資は国民経済にとって必要不可欠なものであるのだが、投資をすれば必ずリターンが見込まれるものでは決してない。将来的に実を結ばない、便益をもたらさないケースのほうが多いだろう。しかも、利益が出ない可能性はあるが、投資をしなければならない分野が歴然と存在する。生活・交通インフラはもちろんのこと、自然災害大国である日本にとって防災インフラへの投資は最優先事項だ。しかし、この利益にならない分野への投資はいったい誰が行うのか。民間ではない。政府だ。対GDP比での研究開発費では主要先進国の中で上位を占めている日本だが、これは主に民間の負担によるもの。研究費に占める「政府」の割合でいうと、先進国中、最低。事業仕分けに代表される「コンクリートから人へ」「無駄の削減」というスローガンが功を奏してしまった結果だ。さらに、民間企業も、国境を超えた資本移動、つまりグローバリズムの隆盛により、生産拠点を海外に移し、国内の労働者の所得減少(あるいは雇用喪失)という犠牲に基づき、資本利益を最大化しようとする。技術開発投資に比べて圧倒的にリスクが低いため、技術開発で付加価値を高めるという選択肢を重視しなくなっていくのだ。

経済の3要素「モノ」「ヒト」「技術」を強化する、つまり生産性を高める方法は基本的にはひとつしかない。もちろん「投資」である。具体的には、「モノ」の強化のために設備投資、公共投資、「ヒト」の強化のために人材投資(ヒトの雇用含む)、「技術」強化のためには「技術開発投資」である。今後、日本は人口構造上、間違いなく総需要が供給能力を上回るインフレギャップの環境になっていく。このとき、生産性の向上を日本人が再認識すれば、生産者の所得増大によりインフレギャップは埋まり、日本は2度目の高度成長期に突入する可能性がある。人手不足が深刻化し、若者の雇用が安定化し実質賃金が上がっていけば、婚姻率も上昇し少子化も解消する。これにより人口の回復につながるだろう。いま日本では、人類史上例のない技術開発プロジェクトが遂行されている。エクサスケール・スーパーコンピュータ、世界最長の高速道路トンネル(山手トンネル)、リニア中央新幹線、高速加速器などだ。イノベーションこそ日本が長期的な繁栄を維持するための必要条件。現代に生きる私たち日本国民が、将来のための投資を拒否することは絶対にあってはならない。


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