「和をもって貴し」とする我が日本に対し、中国こそが世界の中心であるとする中華思想(華夷思想)に染まる大中華(中国)、その子分である小中華(韓国)がいかに違った国民性を持っているかを詳しく解説。王朝が崩壊するたびに過去を葬り去り続けてきた(易姓革命)中韓の歴史を軸に、文化、風土、思想、言語なども面からも考察を加える。
この手の本は数え切れないほど読んできたが、そのたびに気づかせてくれるのは「隣国だからといって深い友好を築けるわけではない」ということ。外交の要諦である遠交近攻に従い、遠くにある国(日本ならば欧米)とは手を組み、隣国である中韓とは戦争はしないまでも牽制し合って適度な距離を保つことが最良であるのだ。なにせ、日中友好、日韓友好という美名の陰で、海底資源、核心技術、捏造に基づく歴史認識、借りパクされた援助資金などなど、日本が失った国益は計り知れない。
こう書くと、いかにもネット右翼御用達の一冊に思われるかもしれない。だが、別に彼らを貶めるための理論武装として手に取ったわけではない。実は、僕は中国語と朝鮮語の学習歴があり、それぞれの国に長期間滞在した経験がある(中国には語学留学)。そのときに肌で感じたのが、彼らの日本に対する敵意ではなく(もちろん侮辱されたことは多々あった)、むしろ日本への憧れと羨望だった。
こうした個人レベルを超越し、中韓が激越な反日国家であり続けねばならない理由は、日本のようになりたくてもなれない、歴史と風土に裏づけられたエゴイズムやルサンチマンといったねじれ根性にある。隣国である以上、彼らとの外交は密にならざるを得ないが、なるべく衝突を避ける唯一の解は、博愛的な考えは捨て「永遠に分かり合えない民族」であることを意識して付き合うことなのかもしれない。