愚韓新論

三橋貴明

もうこの手の本はさんざん読んだから今回はよしておこうと思いつつも、結局手にとってしまうのは、それほど私がこの厄介な隣国について相当敏感になっているからであろう。敏感といっても、韓流スターの動向だとか圧倒的に安い韓国産PBビールだとかキムチの香ばしい匂いなどについてではもちろんなく、この国が声を上げることによって日本に与えられる悪い影響のことだ。特に、李明博政権末期から現在の朴槿恵政権に至る韓国の反日の度合いはこれまでとは比べものにならないほどヒートアップしており、度重なる国内での事故・不祥事すら反日にすり替えて国民を煽動する始末だ。その行き過ぎた行為は朝鮮半島内にとどまらず、中国では安重根記念館の開設、アメリカではグレンデール市における慰安婦像の設置など、今日も彼らは日本の国際的地位を貶めるため世界のどこかで暗躍している。

こうした韓国の所業を見聞きして、果たして穏便でいられる日本人はいるのであろうか。韓国が主張していることが客観的な研究により立証された歴史的事実であるのならまだしも、いやたとえそうだとしても、もう70年も前のことをいちいち掘り起こしてきて、賠償しろ、謝罪しろ、金融支援しろなどとやられた日には、普通の感覚の持ち主だったら強い拒絶感を持つはずだ。しかも、韓国側の主張は一方的かつ根拠なきものがほとんどで、決定的なことに1965年の日韓基本条約で日本の韓国に対する戦後保証問題は解決済みときている。それにも関わらず、慰安婦問題を中心に当たり前のように日本の戦争犯罪を声高に叫ぶのは、法の不遡及という法治国家の原則を無視した「親日罪」なるものが成立してしまう韓国という国の特殊性にあるとしか言えない。「未来志向」とは韓国の大統領がよく言う言葉だが、彼らが向いているのは未来などではまったくないのだ。

私たち日本人は過去に韓国を植民地支配し、誇り高き朝鮮民族から言語や土地、名前などを奪っただけでなく、彼らを奴隷のように酷使し非人間的に扱った云々という文脈の歴史教科書により、韓国人に対して無意識のうちに引け目を感じる教育を受けてきた。そのため、例の韓流ブームに抵抗なくすっかり乗せられてしまった人たちが多かったわけだが、現在に至りその様相が一変してしまったのを私自身も強く感じている。では、あちら側はどうかというと、李明博竹島上陸事件の2年後に行われた日韓議員連盟総会に参加した韓国人議員が「日本国内のムードがこれほど悪いとは驚かされた」という脳天気なコメントを残していることからも、「日本は決して自分たちを攻撃しない」と考えていて、あまつさえ「いざというときは日本に何とかしてもらえる」と信じ込んでいるわけだ。戦後の技術移転や通貨危機時の支援、日韓ワールドカップ時のスタジアム建設費貸与(未返済)など、さんざん日本の世話になっておきながら世界中で反日を叫ぶという手のひら返しを当たり前のようにやっているのが韓国だ。韓流がきっかけで韓国に関心を持った日本人が、韓国の実態を知るにつけ、私のように「敏感」になってきたというのは今後日韓が“正常”な関係を築いていく上での慶事であるに違いない。

だからこそ、『本当はヤバい!韓国経済』で作家デビューした三橋貴明氏の試みは大変に重要だ。私はこれまで三橋氏が著した韓国関連本はほとんどと言っていいほど目を通しているが、正直言って内容はどれも大差ない。サムスンや現代の株主は外国人、通貨危機で外資に乗っ取られた、極端な外需依存国家、グローバリズムの申し子といった韓国の基本的な経済構造は必ず記述されており、出版のたびに米韓FTAなどの新しい情報が付け加えられるという格好だ。だが、三橋氏の試み、つまり氏の情報発信の根底にあるのは、正しい情報を何度も繰り返し発信することで理解の自然な浸透を促すということ。「嘘も百回つけば真実になる」というスタンスではまったくない。おそらく次回も、どうせ似たような内容なんだろと思いつつ結局手に取ることになるのだろうと思う。


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