日本国、そして日本人を形作る骨格ともいえる「古事記」を、元皇族で慶應義塾大学講師の竹田恒泰氏が読みやすく現代語化。国生みから国作り、国譲り、天孫降臨までを記述した神代の物語(上つ巻)、神と天皇の代の物語(中つ巻)、天皇の代の物語(下つ巻)が一気に読ませるかたちでダイナミックに描かれている。
冒頭で、「古事記を楽しんで読むための最大の骨はというと、それは神様と人の名が出て来たらすぐに忘れることである」と竹田氏が語っているように、古事記に登場する神の名は総じて読みづらく耳慣れがしないため、一人ひとり覚えようとしながら読むと途中で疲れあっという間に興味を失ってしまうことになる。十人や二十人ならまだしも、数え切れないほどの人数に及ぶためだ。幸いなことに、重要な登場人物は太字で記されているので、人名が列挙された箇所は場合によって読み飛ばしが可能だ。それでも、太字の全員を覚える必要はないと感じたが。
加えて、これはもっと注目すべきことだが、竹田氏は「古事記は神話であるため、その内容が事実かどうかはさして重要ではない。書かれていることはすべて『真実』であるからだ」としている。ここでいう『真実』とは、すでに古事記が日本人が日本人であることの根拠になっているということ。それゆえ、天孫降臨の現実性や神武天皇非実在論などは本来論争すべきことではない。それ以上に気づかなければいけないことは、戦後GHQにより古事記(と日本書紀)を教育の場から追放されたことにより、現代の日本人が古事記から知るべき日本人本来の姿を忘れつつあるという現実なのだ。
本書では、イザナキとイザナミによる国生み、天照大神の天岩戸、スサノオノミコトと八岐大蛇の戦い、大国主神の因幡の白兎、ニニギノミコトの天孫降臨、神武天皇の東征、ヤマトタケルノミコトの熊曾退治など、お馴染みのエピソードをはじめ、兄弟間の争い、恋愛といった人間模様がふんだんに描かれている。それゆえ、たしかに古事記は神話の部類に列せられるのではあるが、その内容は現代社会にも通じる人間くささが感じられ、疎遠なものであるどころか逆に親近の情すら感じた。
これまで何気なく神社に参拝しては自分勝手なお祈りを捧げてきた私ではあるが、その社に奉られている神を知り、その由縁を学ぶことによって、その土地が神代の時代からどのような因縁を抱えてきたかに関心を持つこと。竹田氏の古事記を読んでその思いを新たにしたことは言うまでもない。