第二次大戦終結後、新憲法制定の現場でGHQとの壮絶な立ち回りを演じた白洲次郎の一生を描いた力作。吉田茂の懐刀として終戦連絡事務局次長を任された次郎は、“民主化”を謳いつつもその実日本を二度と国際舞台に立たせまいとする民政局(GS)のチャールズ・ケーディスと全面的にぶつかり合う。他の日本人が尻込みする中、次郎は果敢に民政局内に入り込んで情報を仕入れたり、公職追放の件でケーディスト意見を異にしていた参謀第二部(G2)のウィロビーと誼を通じたりすることで、占領軍にやられっぱなしだった交渉に少しずつ活路を見出していく。
その後、「象徴天皇、戦争放棄、封建制廃止」を原則としたマッカーサー原則の下、新憲法の草案作りがスタート。憲法の専門家がただの一人もいない民政局メンバーにより、なんとたったの7日間で作りあげられてしまう。およそ一国の道筋を定めた内容とは思えない内容に激怒した次郎は、ケーディスらに掛け合おうとするが、会議場外の庭に待機していた彼らから原爆に関連した揶揄を受ける。その瞬間、次郎の目の色が変わった。それまで次郎は民政局が作成した草案に一部賛同する向きもあったのだが、完全に対決姿勢を取ることとなる。
本書では、日本国憲法制定の舞台裏をメインに、次郎の生い立ち、占領期から独立、高度経済成長に至るまでの激動期を経営者として生きた足跡などが、緻密な取材と克明な描写によって綴られている。そうした人生で、次郎が最も大切にしたのが、英国留学時代に培った「プリンシパル」。邦語訳すると原理・原則にあたるのだろうが、要するに「筋を通すこと」である。このプリンシパルを言い表した一文が本文中にある。「次郎のすごさは強引なまでの突破力にあると語られることが多いが、それは印象論に過ぎない。緻密な計算に裏打ちされた戦略立案能力こそ彼の本領であり、してやられた側の人間が後に振り返ってその力量の違いに慄然とするところなのである」。次郎はただ大声で怒鳴るだけの人間にあらず、原因を見極めて結果を見越した行動ができる人物であった。それこそがプリンシパルの本懐と言えよう。
また、次郎の人間くささを語るエピソードにも事欠かない。サンフランシスコ講和条約で吉田茂が差し出されたペンで書名するのではなく自身のペンでサインをした際、その日本の決意を示した心意気に「そうだ、じいさん、よくやった!」と両目に涙を溜めたこと。米国からの帰途、経由地のハワイで子供たちへのお土産にアイスクリームを買った際、同行者に日本に着く前に溶けてしまうと揶揄されると、「馬鹿野郎! こういう気を遣うものを買って帰ってやるから値打ちがあるんじゃないか」とムキになったこと。次郎自身、戦後すっかり自信を失ってしまった日本人に対する“うるさ方”を買って出たとのことだが、こうした微笑ましい姿からは、タフネゴシエーターというより、近所の雷親父という感じがして親近感が湧くのを禁じ得ない。
「プリンシパルを持って生きていれば、人生に迷うことはない。プリンシパルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう」。英国紳士然と生きた次郎はダンディズムの権化としてその人生を全うした。この決して教科書に出て来ることのない人物が、戦後、日本の国柄を決定する憲法制定の場でいかに闘ったか。憲法改正論議が喧しくなってきた昨今だからこそ、彼の生き様を知り、彼の追い求めたものが何だったのかに思いを馳せることはいい機会になるだろう。
なお、本書は次郎個人の生涯にとどまらず、妻の正子や吉田茂、近衛文麿、マッカーサー、ケーディスらの脇役たちも粗略に扱われず、後日談までしっかりと描かれているところに注目したい。特に、日本で次郎に「してやられた」ケーディスが、失意のうちに帰国し、その十数年後に日本でつくった愛人と再会するシーンなどは映画顔負けのドラマティックな展開で、私などは思わず身を乗り出しながら読み込んでいた。やはり人の人生は作り話ではない。次郎の波瀾万丈に過ぎた一生も、こうした人と人との劇的な衝突によって成し遂げられたもの。本書を単なる歴史書として読むにはあまりにもったいなさ過ぎる。