「朱蒙」「太王四神記」「宮廷女官チャングムの誓い」「イ・サン」など、日本でヒットした韓流ドラマを例に取り、古代から現代に至るまでの朝鮮半島の歴史を紐解いていく。著者の宮脇淳子氏がひとつの作品につき百話まである長いドラマを観た上で執筆している点もいろいろな意味で頭が下がるが、そうした丹念なリサーチに基づいているだけに、いかに韓流ドラマが実際の歴史とかけ離れたものであるか、またどういった意図のもとに制作され続けているのか、その論旨には非常に説得力がある。加えて、本来はモンゴル史が専門の宮脇氏が、「朝鮮史は朝鮮半島という括りでは語れない」と示す論拠は是非注目してほしい。
韓流ドラマとは何かをひと言で言うと、「韓国人の願望が顕現したもの」であるということ。まず客観的な事実として、韓国には史料がほとんど残っておらず、脚本家自身ドラマのほとんどが創作であると断言しているということを念頭に置いておかねばならない。たとえば、「朱蒙」は高句麗を舞台にした作品であるが、高句麗は現代の韓国とはほど遠い旧満州・北朝鮮一帯にあった国だ。また、ほぼ神話上の国家である古朝鮮を持ち出し、征服者である漢に対する朝鮮民族のアイデンティティ・アイコンとして仕立て上げられている。このドラマが制作された背景に、高句麗が中韓どちらに所属するかで揉めた際に韓国民の世論を高める狙いがあったことを考えると、もはや純粋な歴史ドラマとは到底言えないプロパガンダドラマと断を下して何の問題もないであろう。つまり、韓流ドラマとは娯楽的要素の濃い時代劇とも異なり、韓国人による自国(朝鮮半島)の歴史に対する劣等感を覆い隠す洗脳装置でしかないのだ。
なぜ韓国人がこれほどまで歴史に対して感情的なのか、また歴史はおろか現在進行形で怒っている事実さえも捏造しようとするのか、その理由については以前紹介した「悪韓論」「中国に立ち向かう日本、つき従う韓国」などを参照してほしい。
最後に、私は特に韓流ドラマのファンでもないし(むしろ吐き気がする)、好きな方に毒づいたりすることはしないとは言っておく。だが、観るにしても娯楽で留めておけるならまだしも、これを現実の韓国であると過信してしまうことは大変危険だということは声を大にして言いたい。一時期、韓流ドラマを観て韓国に憧れ旅行に行く女性が大幅に増えたという。そういう人たちが現地でどのような体験をするにしても、勘違いしないでほしいのは、偽りの知識を基に韓国人と交流することが本当の友好関係とはならないということ。本人は日韓友好に貢献したかのような錯覚を抱くのかもしれないが、その実、単に韓国人の意図した通りに操られているだけにすぎないのだから。