嘘だらけの日中近現代史

倉山満

中国に近代などない。中国大陸の歴史とは独裁の古代と殺戮の中世の繰り返しであり、模範的近代国家である日本とはまったく異質の国。こうした冷徹な史観が日本人に備わっていないから、いつの時代も「悠久の歴史」「十億の市場」「文明の発祥地」といったロマンティックな幻想にとらわれ、中国の垂れ流すプロパガンダにいいように弄ばれてしまうのだ。憲政史研究家であり、いまや保守系集会での名演説で知られる倉山満氏が、いつまでたっても中国の実態に気づかないお人好しの日本人に活を入れる痛快作。「嘘だらけの日米近現代史」に続く、嘘だらけシリーズ第二弾。

中国の本質を「力がすべて」と喝破する倉山氏は、続けて中国史のパターンを列挙する。すなわち、「新王朝成立→功臣の粛清→対外侵略戦争→歴史書の改ざん→宦官や官僚などが跋扈→秘密結社の乱立と農民反乱→地方軍閥の中央侵入」である。それから、時系列に沿って(敢えてこういう言い方をする)始皇帝の時代から中華人民共和国までを、王朝の興亡とそれに連なる事変などを交えながら簡潔に振り返る。そのあまりに類型化しすぎたパターンの繰り返しに、倉山氏自身「ほら、言ったとおりでしょ?」と呆れながら、いや嘲笑いながら、それでいて実に楽しそうに筆を進める。しまいには、「あまりにワンパターンすぎて、書いててだんだん嫌になってきてしまいました」と匙を投げ出すあたり、倉山節全開といったところだろう。

そして、本書の冒頭で中国史の概観を終えると、いよいよ本題である日中関係史へと突入。明治維新で近代化を遂げた日本が世界史の舞台に燦然と登場してから、清、中華民国、中華人民共和国との肩と肩がぶつかり合う丁々発止のやり取りとその政治的舞台裏を克明に描く。ここらへんは、「真実の~」といった感じの歴史本を読み慣れている人にはお馴染みの展開となり、満州事変、盧溝橋事件から支那事変へ至る道筋を冷静に見極める。ただ、その中でも、各地で馬賊が割拠していた中華民国は、中国史においての「中世」である殺戮の時代であったとの視点を崩さずに論を進めていく。この点の記述は、日本の歴史教科書とは異なり、時代背景が実に理解しやすかった。

しかしそれにしても、いつまでたっても前時代的なこうした国家がなぜ、バブル崩壊後の日本を押し退け、虚飾塗れとは言え世界第二位の経済大国などと崇められているのか。それは単純に言えば日本人がお人好しだからで答えが付くが、やはりなんといっても中国人が世界に発するプロパガンダが強烈だからだろう。宣伝活動やロビィ活動は日本のもっとも苦手とする分野であるが、どんなに技術や文化、人と人との連帯があっても、巧みな心象操作を駆使できない限り国際社会における謀略の渦の中で打ち勝つことはできない。それを歴史の中で醸成してこなかった(する必要がなかった)のが日本で、それをしないことには生き残れなかったのが中国なのだ。

このまま日本は中国の宣伝戦に屈してしまうのか。いや、倉山氏は安倍晋三の再登板によって一縷の希望がもたらされたと説く。ようやく正しい国家観を持った宰相を政治のリーダーに戴いた日本人がいまこそしなければならないこと。それをみんなで考えていこうと本書の最後で倉山氏は私たちに問いかける。


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