嘘だらけの日韓近現代史

倉山満

嘘だらけの日米近現代史』『嘘だらけの日中近現代史』に続く、嘘だらけシリーズ第三弾。「日本人の自虐的な歴史認識と歪なナショナリズムを正す」ことをテーマに、前二作では日本人が米中両国に対して信じこまされてきた歴史とプロパガンダを舌鋒鋭く斬り捨てた倉山満氏。今作は保守系書籍のホットワードともいえる「韓国」が主題ということで、筆の冴えがさらに増すのかと思いきや、今回はそれほど気が進まないという。倉山氏曰く、米中両国はともに大国であり日本より強い国であるため、日本人が下手なコンプレックスを抱いてこれ以上潰されないよう筆力を強めた。だが、韓国(朝鮮半島)とは戦争をして負けたわけではなく(むしろ共に戦った)、そもそも本気になって喧嘩をしたら間違いなく勝ってしまう。たしかに歴史問題で横槍を入れてくるのは腹立たしいが、コンプレックスを抱くような相手ではないのだという。では、この厄介な隣人とはどのように付き合い、あしらっていけばよいのだろうか。

本編では、まず朝鮮半島の古代から李氏朝鮮時代に至るまでの歴史を軽くさらってから、近代国家として台頭した周辺国(日米露など)に翻弄される李氏朝鮮時代末期以降の歴史を詳述していく。その際、韓国で使用されている検定教科書の内容に沿って解説していくのだが、倉山氏はのっけから「ところで朝鮮の歴史は完全にファンタジーです」と一蹴する。これは別に倉山氏一流の切り返しでもなんでもなく、実際に、彼の国の教科書は行が変わらないうちに逆のことを言い出すというスタイルで編纂されている。一事が万事、この調子だ。というわけで、教科書から抜き出した文章に対して「また始まったよ……」といった感じのため息口調で考察は進んでいく。

その中で倉山氏が強調しているのが、朝鮮半島は歴史という舞台において「場(Theater)」であっても「主体(Actor)」だったことはない、ということ。要するに、現在、沖縄という「場」をめぐり、日本と中国というふたつの「主体」が争っている構図そのものであり、朝鮮半島の場合は周辺の大国に蹂躙されたり代理戦争として利用されたりするだけの「場」でしかなかった。つまり、「主体」でなかったということは独立国たり得たことがなかったということだ。そんな朝鮮に救世主が現れる。日本である。日韓合邦後、日本はこの資源も何もない朝鮮半島を近代化させ教育を施した。また、満洲国を建国することで、現地で虐待されていた朝鮮人を守っている。これが原因で日本は国連を脱退するのだが、倉山氏は「日本というのは、どこまでもお人よしで馬鹿な国なのではないかと思います。どこの国が、植民地(海外領)のために世界中を敵に回すのでしょうか」と嘆いている。それに、日本は、朝鮮をずっと支配していた中国と戦ってくれているのである。反中親日だったこの時期、朝鮮人は日本人としての「主体」を感じていたのではないだろうか。韓国の検定教科書がうそぶく「日帝の支配により朝鮮民族は塗炭の苦しみを味わった」という記述が霞む。

さて、この七面倒くさい人たちとの接し方だが、本書を一読すれば伝わってくるのではないかと思う。それは具体的な方法論といった次元ではなく、倉山氏が本書の執筆において一貫しているスタイル、つまり「冷徹」であれということだ。語り口こそシニカルだが、一部の嫌韓本にありがちな感情論に走ったり罵倒や侮蔑的な表現は用いておらず、一次史料に則った至極まっとうな論を展開するにとどめている。そこで私たちがすべきは、あのファンタジックな教科書で学んだ韓国人にロジカルで宥和的な思考を期待することは放棄し、彼らの口車に乗せられて過剰な反応をしないこと。正当な反論はもちろん必要だが、こちらが過敏に反駁して揚げ足を取ることが彼らの戦法だと理解することだ。本書で朝鮮半島の歴史を紐解いていくうち、やたらと愛国心やプライドを叫ぶ韓国人が、そもそも確固とした自国のアイデンティティを持ち合わせていないことに気づくだろう。


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