日本「新」社会主義宣言

三橋貴明

現在の日本は長引くデフレーションにより、国民の貧困化が継続している。日本経済のピークはすべて1997年だが、賃金から物価の影響を排除した「実質賃金」で見ると、日本国民の所得はピークの97年と比べて、2014年末時点でなんと平均12%も落ち込んでいる。97年は年収500万円だった人が、14年には440万円に下がってしまったという話だ。年収が60万円も下がってしまったら、当然のことながら支出を減らすことになるだろう。「生産者」と「顧客」は同一人物だ。顧客が支出を減らしたら、その製品を手掛けた生産者の所得が減る。所得が減った生産者は顧客としての支出を減らさざるを得ない。デフレは単に物価の継続的な下落という現象にとどまらず、物価下落により働く生産者の所得が小さくなる、つまりは実質賃金ベースで見て貧困化してしまうことこそ問題なのである。

それにもかかわらず、政府の需要創出や所得分配の強化といった正しい政策は打たれず、緊縮財政と構造改革ばかりが推進され、国民の貧困化が継続している。そうした中、著者の三橋貴明氏は、帝国主義黎明期の思想家、幸徳秋水に注目する。秋水の「分配を公平にするためには、現在の自由競争精度を抜本的に改造し、社会主義制度を確立する必要がある」との主張に、日本が目指すべき「正しい社会主義」の形を見出す。つまり、高度成長期の日本だ。当時は完全雇用が成立しており外国人労働者に頼ることはなかったが、インフレギャップ(供給能力不足)のため経営者はいま雇用している従業員を大切にした。会社で働くことで育った人材が国民の需要を満たすべく奮闘したからこそ、日本は世界に冠たる経済大国へと成長した。交通、電力、水道、医療、物流などのインフラ(各種安全保障)にも莫大な投資がなされた。これからの日本が歩むべき道は「国民が安全保障について正しく理解した高度成長期の日本」なのだ。

安倍総理は果たして「誰」を見て政治をしているのだろうか。日本国民ではなく、日本の一部の企業を含むグローバル企業、あるいはグローバル投資家を利する政策、改革以外には関心がないとしか思えない。消費税増税や介護報酬引き下げなどといった経済政策は、ことごとく国内の需要を縮小させ、競争激化で供給能力を無用に高めるインフレ対策ばかりなのだから。国民の多種多様な需要を満たすためには、生産者1人あたりのモノやサービスの生産を増やす、つまり生産性の向上が求められる。特に、日本のような人口大国では「インフレギャップ=人手不足」環境下における生産性の向上なくして、経済成長はあり得ない。深刻な人手不足を生産性の向上によって埋めることで日本が再び高度成長を迎える日は、果たして安倍政権下でやって来るのだろうか。


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