ここ最近の国際秩序の変調は誰の目にも明らかなものとなっている。東シナ海および南シナ海における中国の挑発行為、シリアやエジプト、イラクなど中東の混乱、ロシアによるクリミア半島の奪取などであり、こうした秩序の不安定化は世界各地においてほぼ同時多発的に起きている。その結果、恐るべき現実が見えてきた。それは、冷戦終結後のグローバル化が失敗に終わり、国際秩序が崩れて戦争が多発する世界になりつつあること。そして日本もまた戦争に巻き込まれようとしているということである。日本が戦争に巻き込まれるということは、集団的自衛権行使の容認により、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるという意味ではない。アメリカが「世界の警察官」として覇権国家の地位を失いつつあることに伴い、東アジアの安全保障のバランスが崩れ、日本は中国が仕掛けてくると想定される戦争に巻き込まれるということだ。であるなら、強いアメリカの復活を待って、戦後の日米安全保障体制の継続・強化すればいいとする向きもあるが、そうしたとしても中国による武力攻撃を抑止できないという可能性はこれまでになく高まっている。元京都大学大学院准教授で評論家の中野剛志氏が、ここに至った根本原因はグローバリズムという思想の過ちにあると喝破し、今後の国際秩序が変容していく原因と行く末について分析を加えていく。
アメリカの外交方針には2つの潮流がある。伝統的に自由や民主主義のような価値観を重視する理想主義(アイディアリズム)と、勢力均衡(バランス・オブ・パワー)を重視する現実主義(リアリズム)である。例として、ブッシュ親子の政策を比較するとわかりやすい。ブッシュ・シニアは湾岸戦争時、イラクをクウェートから追い出した後フセイン政権を打倒しなかった。下手に打倒してしまうと中東の勢力均衡が崩れ秩序を維持するための負担が大きくなってしまう。彼は現実主義の戦略論に則って判断したのだ。一方のブッシュ・ジュニアは父とは対照的な方針を取り、テロとの戦いや中東の民主化といった大義を掲げてイラク戦争を仕掛けた。中東の勢力均衡より民主主義という価値の実現を重視する理想主義の観点から正当化され実行されたのだ。しかし、結果的にイラクだけでなく中東全体の秩序が不安定化することとなり、理想主義の外交は手ひどい失敗に終わったことは周知のとおりだ。そして、2009年に成立したオバマ政権の下では外交方針を現実主義へと傾けつつある。これは価値観外交(理想主義)を掲げる日本の安倍政権と対をなす理念であり、安全保障やTPPなどにおいてもその態度が如実に異なり、両国の間に横たわる断層は東アジアだけでなく世界の動向に大きな影響を及ぼすだろうと警告する。
米テキサスA&M大学のクリストファー・レインは、国家の大戦略は国際社会の構造と国内のさまざまな動因(経済、政治、イデオロギー、文化)の両方の相互作用によって決まってくるものとし、何がアメリカをグローバルな覇権主義へと駆り立てていったのかというアプローチを試みた。それはアメリカ固有の「門戸開放」政策。ウッドロー・ウィルソン的な理想主義あるいはリベラル・イデオロギー、今日言うところの「グローバリズム」だ。アメリカの門戸開放政策は政治と経済の両輪から成り立っており、その骨子は、自由貿易など開かれた国際経済システムを維持すること、民主政治と自由主義を海外に広めることである。第二次大戦後、圧倒的な軍事力を獲得したアメリカは、東西冷戦期、冷戦後もこの門戸開放の理念を貫き通し、超地域的な覇権主義をやめようとしなかった。このアメリカという覇権国家による一極主義的な世界戦略の産物こそが、「グローバル化」なのだ。しかし、リーマン・ショックを経て衰退期に突入したアメリカには、かつてのような圧倒的なパフォーマンスは期待できない。そこでレインは、アメリカは超地域的な覇権を目指す大戦略を放棄し、今後は「オフショア・バランシング」戦略を選択すべきと提唱する。海を隔てた地域で起きる紛争については軍事介入を最小限にとどめ、国力を温存するという戦略だ。ただ、この戦略が成立するには、日本をはじめとする同盟国が自主防衛能力を獲得することが前提となることを忘れてはいけない。
アメリカは間もなくグローバル・パワーとしての地位から退く。しかし、グローバルな覇権の交代があるわけではなく、単にグローバルな覇権が不在になるだけである。では、グローバル覇権が不在となった世界はどのようなものとなるのだろうか。それは、各主要国が自国の安全保障を自力で確保するために、地域覇権としての地位を獲得しようと動くと予想できる。アメリカは歴史上最後の覇権国家としての記憶と化し、モンロー主義へと回帰するだろう。では、こうした世界を生き抜いていくだけの用意が日本にあるのだろうか。日本は中国が東シナ海において仕掛ける覇権戦争に巻き込まれる可能性が高い。その戦争を回避するために日本に残された道は、中国が侵略を断念するに十分な自主防衛の能力を準備するか、あるいは、中国を覇権国家とする東アジア秩序の中で従属的な地位に甘んじるか、のいずれしかない。