2014年3月、内閣府から「毎年20万人の移民を受け入れることで、今後100年間は人口の大幅減を避けられる」という試算が出された。これに伴い、東日本大震災の復興や2020年の東京オリンピックに向けて人手不足が生じている現状を鑑みて、外国人労働者の受け入れを拡充させるという議論とともに、移民問題の賛否が論じられるようになった。人手不足とは実質賃金が向上し働き手の所得が上がっていく環境のことであり、デフレ不況の際に専門業界(特に建設業)からリストラされた技術者を呼び戻す好機であるにもかかわらず人件費の安い外国人労働者で人手不足を補おうとするのは、一部の企業家、投資家、官僚、学者、政治家が実質賃金が上昇することを嫌悪しているからだ。つまり、移民政策推進派とは、企業の利益を最大化し株主の機嫌を取ろうというグローバリストそのものというわけだ。経済評論家の三橋貴明氏が、移民問題を彩る美辞麗句を片っ端から斬り捨て、海外の事例を取り混ぜながら国体をも失いかねない、この危険な政策について詳述する。
多文化共生主義を掲げ移民政策を推進してきたヨーロッパ諸国だが、近年に至り各国の首脳が「失敗」だったと認める発言をしている。イギリスのキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが多いことを念頭に「多文化主義が本流と隔絶したコミュニティーを生んだ」と発言。ドイツのメルケル首相も似たような趣旨で多分化社会の共存共栄は失敗だったと語っている。また、フランスやスウェーデン、オーストリアなどでは、移民(特に中東出身のイスラム教徒)との軋轢が高まったことを受け、移民制限(排斥ではない)を訴える政党が支持を伸ばしている。なぜ多文化共生は成り立たなかったのか。その地域特有の文化・歴史・言語などを基に形成された自然国家では、異なる人種間が混ざり合ったとしても新たな国家として昇華することはなく、もともとの差異がそのまま残り、「異」民族がただ「一緒にいる」という状況になる。つまり、できあがるのはメルティング・ポットではなくサラダボウル。移民は移民同士で固まって集住化するようになり、国内に「別の国家」を醸成するだけの結果に終わるのだ。
では、実際に日本が大量に移民を受け入れるようになったらどうのような事態が想定されるのか。いちばん想像しやすいのが治安の悪化だろう。三橋氏は取材で訪れたスウェーデンを例に取り、安全な印象のあるスウェーデンの犯罪発生率が日本の13倍にも及ぶという事実を分析する。首都のストックホルム中心部は日本並みに安全意識の高さが感じられたが、ストックホルム市ヒュースビー地区やマルメ市ローゼンゴード地区では様相が一変する。特にローゼンゴード地区は住民の9割が移民、失業率は平均の2倍を超え、若年層の失業率も極端に高い。暴動は頻繁に発生し、消防車は警察の護衛なしでは出動しないという。これらの地区はほぼ完全に非スウェーデン人により乗っ取られた状態なのだ。これを日本に当てはめるとどうだろう。現在、日本に居住している外国人のトップは中国人で(韓国・朝鮮人も多いが帰化が進んでいる)、外国人犯罪件数、人員ともにこれまた中国人がトップだ。これに加え、政府の外国人技能実習制度拡大により日本に入国する7割超が中国人である以上、私たち日本人はいやが上にも警戒しないとならない。毎年20万の移民の中でどれだけの割合が中国人になるのか。横浜や神戸など観光地化したチャイナタウンどころではない、邪な意図を持った中国人だけの地区が全国各地に形成されることが考えられる。
それでも日本は移民を受け入れざるをえないのか。いや、そんなことはない。人手不足を補うためであるなら、そもそも外国人に頼ることなどせず自前の労働力を活用すればいい。要するに、働けるにもかかわらず生活保護を受けている日本国民、あるいはニートと呼ばれる若い世代をトレーニングし、資格を取得させ労働市場に送り出せばいいだけだ。こうした30万人の人材予備軍に対し、1人100万円のコストをかけたとしても、わずか3000億円の支出で済む。これだけで日本語での意思疎通に支障のない専門職の人材を育成できるのだ。これにより、日本の少子化の原因も根絶することができる。少子化の真因とは未婚率の上昇であり、婚姻率を押し下げている最大の要因が実質賃金の低下や雇用の不安定化。年収200万円未満の男性が600万人もいるという深刻な問題も、人手不足による求人の対象を外国人ではなく日本人にするだけで普通に解決し、これにより結婚も増え少子化による人口減少も底を打つだろう。
最後に、日本は戦後の高度経済成長期に人手不足に陥ったにもかかわらず、外国人労働者に頼らることがなかったという事実に大きな示唆を得たい。ヨーロッパ諸国は黄金の四半期(戦後からオイルショックまでの期間)に経済を成長させつつ、人手不足解消のために外国人労働者の導入を始めた。それに対し、日本は企業の設備投資拡大と日本国民の労働者の生産性向上により供給能力不足を補おうと務め、主要国の中でも断トツの経済成長を達した。外国人労働者を受け入れなかったことで、日本は「モノよりヒトの値段が高い」と揶揄されたが、言われるまでもなく「ヒトの値段が高い」ことに重きを置くのが本来の日本ではなかったか。この信念を失った時、日本は確実に外国人に乗っ取られるだろう。