欲望のすすめ

古谷経衡

ここ最近、日本人が「無私」「無欲」であることがことさらに美化され、肯定される風潮が目立っている。物体や物質を「所有しないこと」を“善”とし、「欲望」を発露させ解放することを“悪”とするような風潮である。それを象徴した言葉が「若者の草食化」「草食系男子」などであり、若者が異性に対して性的に無欲になっているということを表現するニュアンスが込められている。テレビや雑誌、インターネットなどのメディアにおいて、奥手で女みたいにナヨナヨした男性が女子力高いなどとして持ち上げられ、逆に男らしさあふれる熱血漢は笑いの対象とされている様子を目にするにつけ、嘆かわしいと思うか時代の移り変わりと思うかは人それぞれだ。だが、著者の古谷経衡氏は、実際に若者が性欲あるいは物欲を失いつつあるという言説に対して真っ向から反論する。まず性欲についてだが、国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、若者の性の体験率は近年一貫して高止まりして減少の気配を見せていない。また、若者の物欲喪失の例としてクルマ離れ、シェアハウスの隆盛などがあるが、これも実際の若者事情からは著しく乖離した皮相的な見方であると喝破する。

若者が目に見える形で欲望をギラつかせなくなった原因は、バブル崩壊後のデフレ不況の煽りを受け、安定した収入はおろか定職にすらつけず、その日暮らしに近いギリギリの生活を強いられるようになったためだ。相対的な貧困に身をやつされ、どんなに奮闘しても生活が改善しないという状況の中、すっかり覇気を失った自分自身が「草食系男子」などと、無害でポジティブな言い方をされると多少は慰められるということか。だが、上の世代はそうした若者のことに冷ややかな視線を送る。若者に就業という機会を創出してあげることなど度外視し、若者は主体的に草食化したのであり、社会や世の中がそれを彼らに強いているわけではない。クルマや持ち家やセックスや結婚ですらも、社会や政府の無策がそうさせているのではなく、あくまでも若者が選択した結果なのだと、自らの責任を巧妙に回避しようとしているのだという。若者は若者なりのライフスタイルを精一杯謳歌しているにもかかわらず。

本書はほかに、明治以降の日本の対外進出を例に取り、かつての日本人は「アジア諸国のため」などというお人好し的な理想のもと、アメリカという巨大な存在に立ち向かい国土を焦土にしたなどという考え方を否定。「無欲の善人」であった私たちの祖先がまるで弱者の味方のように決然とアメリカに挑んで負けたというのは、祖先を「計画性のなかった馬鹿だった」と言っているに等しい。「欲望」を捨てた日本人が他者のために善意で300万人も死んだとなると、ちょっと救いようのない「新しい自虐史観」ではないかという自説を披露する。若者を勝手に去勢し、無欲の塊だと断じるのは、そうすることで都合が良くなる人たちがいるからだ。若者をバッシングするだけして、自分たちは何の責任も取らない。問題なのはこうした構造に、世直しするために選出されたはずの政治家がメスを入れようとしないことだろう。だが、それすらも世代別の投票率を勘案すると、政治家が動かない理由が透明度を増してくる。政治家は自分に投票してくれる世代の機嫌をこじらせては大変なことになるのだ。投票欲。こんな言葉があるかは知らないが、生活が一向に良くならず「草食系」という言葉に慰めを見出している若者は、自分がどれだけ政治参加をしているか見つめなおしたほうがいいと本書を通して強く感じた。


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