ニッポン景観論

アレックス・カー

日本の伝統的な風景とは何かと聞かれたら、何となく「桜」「富士山」「お城」などが思い浮かぶ。だが、実際に駅を出て真っ先に飛び込んでくる風景は、そこらかしこに林立する看板や極彩色のネオンサイン、パチンコ店の大型ビジョンだったりする。私たち日本人は、人通りの多い場所ではこうした広告、看板の奔流に見慣れてしまっているが、日本の伝統的な風景を期待してやって来る外国人にとってはどうだろう。これを日本の高い技術力の一環だと納得してくれるのだろうか。それを知るは「景観工学」における日本と欧米との温度差を計ればよい。電線は地下に埋設する、高圧電線の鉄塔は名称の山より低くする、鉄塔の色は山の色に合わせる、看板は建物の3階以上に設置してはならない。といった景観への配慮が、欧米のみならず、北京、上海、クアラルンプール、シンガポールなどの都市で進められている。さぞかしガッカリするのではないかと思う。

日本の建築技術が世界でも抜きん出ていることは事実だ。しかし、土木工事における「先端技術」とは「環境に配慮して、簡素で周囲に溶け込む」ことが本来あるべきなはず。それが日本においては、大きく、太く、厚く、真っ白にピカピカ光らせるなどして、自然と歴史環境、美観に配慮した土木工事ばかりが目につくようになってしまった。川底をコンクリートで敷きつめたり、山肌を白いブロックで覆ったり、やたら大量のテトラポットで護岸したりと、いまやこれらが日本の「原風景」になりつつあると言って過言でないかもしれない。建築とは、その用途のいかんにかかわらず、周囲の景観や歴史とつなげていくということであるはずなのに。

本書は、著者のアレックス・カー氏が、自らの足で日本各地を回り、撮りためた写真がふんだんに掲載されており、またユーモアあふれる文体により、思わず他人事のように吹き出してしまう箇所も多々あった。まるでお笑い芸人がネタにしそうな「日本あるある」のオンパレードとなっているのだが、こうした施策の裏側で、日本で受け継がれてきた歴史や伝統が抹消されていることに思いを馳せなければならない。ヨーロッパでたくさんの街が美しく残った理由は、観光促進が第一でなく、地元のプライドが高いから変な開発を許さなかったからだ。京都のような古い街の景観は規制で救われるのではない。住民たちのプライド、つまり愛郷心がないと街並みはどんどん壊れていく。それは京都に限った話ではない。自分の生まれた街、ひいては生まれた国を大切に思う気持ちが薄れていくと、日本の伝統的な風景などあっという間に失われてしまうだろう。


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