続・竹林はるか遠く―兄と姉とヨーコの戦後物語

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ

終戦直後の混乱期、朝鮮の羅南(現在の北朝鮮清津市)にて裕福な暮らしをしていた川嶋家は、南下してくるソ連軍の襲撃から逃れるため、日本本土を目指した。本作の主人公である擁子は、母と姉の好とともに貨物列車で朝鮮関東南部の釜山まで行き、そこから船で日本へ。数々の苦難をくぐり抜けながら、ようやくたどり着いた京都で擁子は就学することとなるが、最愛の母が死去。その後、生き別れた兄の淑世と再会。ソ連に抑留されたと思われる父の帰還を待ちながら、擁子、好、淑世の3人は身寄りのない地で身を寄せ合う生活を始めた。ここまでが前巻の内容。本書は、戦争の被害が軽微だった京都にて、戦災孤児として「こじき」扱いを受ける擁子たちが、度重なるアクシデントや理不尽な仕打ちを受けながらも、忍耐強く、そしてたくましく生きていく様子を描く。

3人は前巻で出会った親切な老婦人から間借りしていた倉庫で生活していたのだが、ある夜、その倉庫が火事になった。必死で逃げ出す中、母の位牌や家宝の入った風呂敷を忘れたと言って、好が猛火の中、倉庫内に戻っていった。風呂敷は取り戻せたが、甚大な怪我を負ってしまう好。日々の生活すら満足に送れない状態だったが、やむを得ず、病院に入院することとなった。経済的負担もさることながら、3人には放火犯の濡れ衣を着せられ、擁子は学校での悪質ないじめがエスカレートしていく。そうした中でも、兄の淑世を中心に、3人は父が帰って来ることだけを信じながら、助け合い励まし合いながら健気に生きていく。

・私は中に入り、雑誌の項を一枚破り取り、くしゃくしゃにして軟らかくした。それで涙を拭くと、疑いを振り払うかのように勢い良く鼻をかんだ。住み心地のいい家、友人、服、そして母。私たちは多くの物を失った。それでも、一度として川嶋家の誇りを忘れたことはないし、誰もこの誇りを私たちから奪っていく権利などない。
・寝ようと好のベッドの下にもぐりこみ、ふと、私は風呂敷包みに手をやった。母が、私たちを見守ってくれていることに感謝し、そして、もし母の魂が飛んでいけるのなら、すぐにでも父を探しに行って、急いで私たちの元に戻ってくるように頼んでほしい、とお願いした。
・いいこと、擁子が心配ごとを話してくれたら、重荷が半分になるのよ。喜びだったら二倍になるの。覚えておきなさいね。
・過去や、これまでの因習を変えることはできない。でも、川嶋家の子供たちが海に注ぐ三滴の水になり、やがてさざなみとなって、人間愛を広げることはできるよ!

再びこれらの節に触れると、本書から得た感動がよみがえり、目頭が熱くなってきてしまう。たしかに、3人をめぐる状況は過酷であったが、擁子の学校の小間使いである内藤さんや、離れの倉庫を提供してくれた老婦人、病院で知り合った湊さんなど、親切な人たちに支えられてきたことが生き延びられたと言っても過言ではない。しかし、彼らが無私の精神で親切にしてくれたのではなく、擁子たち3人が逆境の中でもたくましく生きている姿に共感したからだろう。もし私が擁子たちと同じ境遇になったとしたら、とてもではないが前を向いて生きていこうなどと思えない。それは私を含めた現代に生きる日本人の大半がそうではないだろうか。たしかに、いまの日本は平和だ。だが、こういう時代があったということを、読み物の中だけの記憶にしてはならない。


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