奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録

石川拓治

青森県岩木山山麓でリンゴ農家を営んでいる木村秋則さん。これまで絶対に不可能とされていた農薬ゼロの栽培を可能とし、あまりのおいしさに全国から注文が絶えることなく、またそのリンゴを使用したスープを出すレストランの予約は1年後までびっしり埋まっているという。いまでこそ無農薬栽培された野菜や果物は至る所で目にすることはできるが、その実現への背景には壮絶な努力と忍耐、そして孤独が敷き詰められており、木村さんの無農薬リンゴにおいても例外ではない。試行錯誤を重ねるうち、収穫がなくなり家族は極貧状態となる中、木村さんはいかにしてその困難を乗り越え、いかにして無農薬リンゴを結実させることに成功できたのか。本書は、木村さんの数十年にわたる苦闘と、人間と自然が織りなすドラマを描いた一級のドキュメンタリーだ。

幼少の頃から機械に関心を持ち、与えられたオモチャやオートバイなどのマシンはすべて分解しなければ気が済まない木村さん。一度は川崎の企業に就職するが、家庭の事情により青森に戻り、結婚を機に婿入り先のリンゴ農家を継ぐ。青森、いや全国のリンゴ農家では農薬を使用して栽培することが当たり前となっていたのだが、村の中でも「変わり者」だった木村さんはその農法に疑問を持ちはじめる。そして、義父の許可を得た上でリンゴの無農薬栽培をスタート。はじめは畑の一部からだったが、徐々にその範囲を広げ、やがて全域でのチャレンジとなる。

最初の数年こそ、収穫減は織り込み済みとして許容できたが、次第に畑は害虫だらけとなり収穫はゼロに。家族の生活も逼迫していき、当時高度成長期にあった日本の中でその様相をまったく異にしていた。農薬の代わりに牛乳や卵の白身、酢などを散布してみるものの、代替品としての効果はほとんどなく、一時的に効果あったとしてもぬか喜びに終わる日々が続く。継ぎ接ぎだらけの服を着て毎日粗末な物を食べるのが自分だけならまだいい。そうした生活を育ち盛りの娘3人を含めた家族にも強いることになっている現実から目を背けることはできなかった。ある夜、木村さんは太く締めたロープを手に、ひとり岩木山の山中へと入っていく。

山中奥深くまで入ったところで、ロープを引っ掛けるのに手頃と思った木の手前で足を止める。自らを吊し上げるため木の枝にロープの一方を投げやったとき、木村さんはあるものを見つける。それは最初リンゴの木かと錯覚したが、近づいてみてみるとドングリの木だった。その場で、木村さんはあることに気づく。それは、そのドングリの木がふかふかとした土の上に立っており、周りには雑草が生い茂っており、そして実に自然な状態であったということ。この瞬間、木村さんは開眼する。これまで自分が手塩にかけてきた畑は、農薬こそ使っていなかったが、まったく自然ではなかったのだ。土は硬く踏み固められ、雑草は刈り取られていた。ここから一気に、木村さんのサクセスストーリーが展開する。

本書を、無農薬リンゴ栽培に賭けた木村さんの成功譚であるとか人生訓、苦労話、はたまた農学書といったジャンル分けが可能かとは思うが、私は、人間が自然の中に生きていることを忘れつつあることへの警告と受け止めた。たしかに、農薬を与えれば害虫はやってこないし、肥料を与えれば生育も早くなる。ただ、それは本来の自然に対しては「余計なこと」なのだ。自然では誰が決めたのでもなしに生態系が発生し、適正な存在だけが生き残り、そうでないものは淘汰される。翻って、「与えすぎ」により免疫系の疾患が相次いでいる、わが国をはじめとする子供たちを考えてみると、それは先進技術の恩恵の裏で失っていったものの大きさを思わずにはいられない。なにしろ、木村さんが作ったリンゴは、スーパーなどで出回っているリンゴと同じものとは思えないくらい、おいしいというのだから。


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