嘘だらけの日英近現代史

倉山 満

ヨーロッパが世界に中心になる契機となった七年戦争。イギリスの外相として戦争指導にあたったウィリアム・ピット(大ピット)は、海洋戦略重視を掲げ、新大陸とインドこそイギリスが大英帝国として飛躍する天王山と定めた。旧大陸では「カネだけだして血は流さない」立場に徹しつつ、インドではプラッシーの戦いでフランス東インド会社を粉砕し、カナダではケベックの戦いでフランスに勝利。海の向こうで赫々たる戦果を上げたイギリスに対し、旧大陸内で戦い続けていたプロイセン、オーストリア、フランスはたいして得るものなし。ひとり勝ちのイギリスは、この七年戦争より世界に冠たる大英帝国としての地歩を固めた。その七年戦争の最中、イギリス海軍がスペイン領マニラを攻略するという出来事があった。当時の日本は江戸幕府で、鎖国をしていた時代だ。それまでは武装中立を貫く力があった幕府も、この頃になると軍事的努力の怠慢が目に見えていた。同時期にロシアがシベリアに到達していたこともあり、このイギリスのマニラ攻略は日本にとって大きな意味を持つことになる。

さて、「世界に冠たる」という形容をほしいままにしたイギリスだが、その裏付けとなったのは軍事力だったのだろうか。直接的要因はそうなるが、大英帝国が戦争を勝ち抜けた基盤となったのは、経済力だ。その経済力を確保するには、国民から効率よく税金を集め予算として軍隊に配分するシステム、つまり英国憲法の存在を忘れてはならない。英国憲法は戦争に勝つことを目的に構築されている。政治家が議会で戦争目的と増税の必要性を説き、それに国民が熱狂し納税することで予算を配分、戦争に勝って国民に還元するというサイクルこそが英国憲法であり、ヒト・モノ・カネが効率よく回る仕組みとなっているのだ。そのため、政治家の演説の良し悪しもまた重要性を帯びてくる。大ピット、小ピット、パーマストン、ディズレーリらの演説がどこほど英国民を奮い立たせ、彼らの熱狂が帝国の発展をもたらしたか知れない。

明治維新を迎えた日本から、遣欧使節団としてロンドンを訪れた大久保利通は「こんな国にどうやって追いつくのだ」と圧倒されたという。そして、ポーランドのような善良で特に悪いこともしていない国が、ただ弱いというだけで列強の食い物にされているという現実も目の当たりにする。「大英帝国のような強い国をつくる」という一念を抱いて帰国した彼らは、諸外国と交わした不平等条約の改正に乗り出す。だが、改正にもっとも否定的だったのが、目標としていたイギリスだった。英国は極東のことは清だけ相手していればよいというスタンスで、日本のことなど一顧だにしていなかったからだ。そんなイギリスに認めてもらうにはどうすべきか。日本が文明国である根拠となるのは憲法だ。伊藤博文を中心に、世界に憲法を見て回りながら古事記などを通して日本の歴史を徹底的に研究し、日本らしい人権規定、皇室のあり方などを定めた大日本帝国憲法を発布。そして、北清事変での日本の活躍がイギリスが日本を決定的に認めることとなり、またロシアの脅威に対抗したいという思惑が一致し、1902年、ついに日英同盟が結ばれた。

「この本を書くためにこの仕事を選んだと言っても過言ではない」。こういう書き出しで著者の倉山満氏は筆を走らせていく。本書で第5作目となった「嘘だらけシリーズ」において、まさに満を持しての登場となったわけで、文明国1年生だった日本がどうやって史上最強の大英帝国を追いかけ、肩を並べ、そして刺し違えるに至ったのか、いつもの倉山節を楽しみながらその過程をなぞっていくのが本書の読みどころだ。共に皇室(王室)を戴く立憲君主国、しかも島国という、よく似た環境にある日英両国がこれまでどのような歴史を歩んできたのか、倉山氏の意欲作を堪能したい。


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