「戦争には目的がある。その目的は平和をもたらすことだ。人間は人間であるがゆえに、平和をもたらすには、戦争による喪失や疲弊が必要になる」。著者のエドワード・ルトワック氏は、これを論文「戦争にチャンスを与えよ」の主軸とし、外部の介入によってこの自然なプロセスを途中で止めてしまえば平和は決して訪れないと主張している。人道主義という美名のもとに、遠隔地のほとんど知識もない地域の紛争に安易に介入すれば、たとえ善意に基づく介入でも、結局は甚大な被害をもたらしてしまう。たとえば、ボスニア内戦について、「戦争の妨害」こそが「戦争によってもたらされる破壊」より酷いとしている。外部勢力の介入で無理やり停戦がなされたため、戦争が「凍結された」形となり、サラエボでは誰も「戦後復興」を行おうとせず瓦礫の街のままとなっている。つまり、ここには「平和」はない。停戦が押し付けられただけで、戦争の終結をもたらすはずの流れが止められてしまっている。和平が成立したとは言え、いつ戦闘が始まってもおかしくない状態でしかないのだ。
そもそも停戦とは、むしろ戦争によってもたらされる疲労感や厭戦気分の発生を阻止したり、紛争当事者にとって、再編成や再武装の機会となることが多い。こうなると、停戦終了後の紛争をむしろ激化させたり、長期化させてしまう。停戦はほとんどの場合、次の戦闘の開始につながってしまうのだ。第一次中東戦争、バルカン紛争などがこのケースに当たる。ここで言う外部勢力とは国連平和維持軍やNATOのことだが、ルトワック氏は、戦争における最も無関心かつ破壊的な介入は、人道支援活動であると強調する。その最たるものが国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)だ。UNRWAは、パレスチナ難民に比較的レベルの高い生活環境を提供することで、難民キャンプを望ましい住み処へと変え、逃亡していた民間人を生涯を通じての難民に変えてしまった。さらには、キャンプを集中させたことで、若い難民を自発的に、あるいは強制的に武装組織へと参加させることにもなってしまったのだ。
また、本書では戦略についても触れられており、特に日本の現状を鑑みた力強いアドバイスも提示してくれている。尖閣諸島を付け狙っている中国、核ミサイルで恫喝をかけてくる北朝鮮に対し、日本はどう対応すべきか。言えることは、「まあ、大丈夫だろう」という無責任な態度が極めて危険だということだが、そのうえで「平和は戦争につながる」というパラドキシカル・ロジック(逆説的論理)を注視したい。平時には脅威が目の前にあっても「まあ、大丈夫だろう」と考えてしまい、相手と真剣に交渉して敵が何を欲しているのかを知ろうともせず、攻撃を防ぐための方策を練ろうとも思わない。だからこそ、平和から戦争が生まれてしまう。いまの日本にこの危機感を持っている人はどれだけいるだろうか。事あるごとに、戦争反対、九条護持などという叫びがあがり、それに流される人が多くなればなるほど、日本が戦争に巻き込まれる可能性が高くなるということに。