日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に墜落した日、地元紙である北関東新聞は蜂の巣をつついたような大騒ぎに見舞われた。事故現場は地元、しかも乗客乗員500人以上が犠牲となった未曾有の航空事故。全国の注目が集まる中、地元紙のプライドにかけて、他紙の後追いだけは何としてでも避けなければならなかった。編集部に籍を置くベテラン記者の悠木は全権デスクを任されると、部下の若手記者を御巣鷹山はじめ各所に配置し、実際の目で見たリアルな原稿を紙面にするべく発破をかける。だが、日航墜落事故を全面に押し立てたい悠木に対して、社内各部署の思惑が執拗に絡んできたり、大久保事件・連合赤軍事件で腕を振るった先輩記者らから嫉妬混じりの横槍が入ったりと、思うような紙面づくりをさせてくれない。ジレンマに陥った悠木のもとに、実際に御巣鷹山に登り事故直後の現場の様子を見聞してきた佐山、神沢記者から、生き馬の目を抜くような素晴らしい現場雑感が送られてくるが、社会部部長から降板延長の許可を得られず、フイにしてしまう。記事掲載の約束を果たせなかった悠木は、地獄絵図の現場を見てきた両記者からそっぽを向かれてしまうことになる。
事故発生から2日、3日たち、遺体の身元確認、遺族への引き渡しなどが進んでいくにつれ、上層部から朝刊一面いっぱい日航機事故で埋める必要はないと言い渡される。全権デスクとして事故報道に全力を傾けていた悠木は、ところどころで妥協して記事の配置換えに応じるが、それでも地元群まで起きた世界的に類を見ない大事故への追及の手を緩めたいはずがなかった。それは、大スクープを狙って日々御巣鷹山に登ったり役所詰めをしている後輩記者たちの熱意を汲み取りたいという思いでもあった。そんな中、紙面組みで上層部と怒鳴り合いのやり取りを繰り返す悠木のもとに、三年生記者の玉置から思いもよらぬ報告を受ける。事故原因がわかったというのだ。機体後方に設置された与圧隔壁が破れ、客室内の空気が内部から尾翼を吹き飛ばしたことが原因だという。ただ、これは事故調査員が「隔壁」と口にしたの聞いた玉置の推測であって、裏が取れているわけではない。また、玉置の口ぶりは自信なさげであった。半信半疑にすらなれない悠木だったが、玉置には佐山とともに事故調の宿に張り付いて裏を取るよう命じる。すると、降板間際の深夜、玉置から連絡が入る。事故原因は隔壁で決まり、らしいと。「らしい」。事故調から完全な裏取りができたわけではない。でも、ほぼ間違いないと。すでに原稿は用意されている。これを掲載すれば全国紙すら抜けなかった大スクープとなる。だが確証はない。悠木が決断するのに残された時間はあまりに少なかった。
その18年後、悠木は山を登っていた。登山の難所として知られる谷川岳の衝立岩に挑むためだ。同行するのは、安西燐太郎。かつての同僚で販売部に所属していた安西耿一郎の一人息子だ。その安西は、日航機墜落事故が起きる前日に悠木と衝立岩征服を約束していたが、クモ膜下出血で倒れ、そのまま植物状態となり帰らぬ人となってしまった。安西が山を前にして言っていた台詞、「下りるために登るんさ」。当時は腑に落ちなかったその台詞の意味が、日航機墜落事故の紙面づくりをめぐる社内闘争、ギスギスした息子との関係、そして安西の意志を受け継いだ燐太郎を通して、やがて形を帯び心に響いてくる――。上毛新聞社時代に日航機墜落事故現場を取材したという、著者の横山秀夫氏。作中人物はもちろんフィクションだが、物語や情景描写は非常にリアリティにあふれていて、ついつい引き込まれてしまう筆力はさすがだ。硬派な作品を書かせたら右に出るものはいないのではないかと思わせる。他の著作もぜひ手に取ってみたい。