「国民がバカだと国家もバカになる」というサブタイトルが本書のすべてを物語っている。バカな国民とはどういう人たちのことを指すのかというと、別に国際学習到達度調査で下位に甘んじている人たちのことではなく、自分の国のことを大切に思わない国家観を失った人たちのこと。よく、日本が悪くなったのは政治家が腐敗したせいだと声を張り上げる向きがあるが、有権者として彼らの政治活動を監視した上で糾弾するのならまだしも、ノンポリを気取ってろくに選挙も行かないくせにここぞとばかり責任をなすりつけるのだから始末に負えない。こうした政治だけでなく国に対しても無関心になってしまった人たちこそが「バカな国民」であり、日本人でありながら日本人であることを忘れた人が増えるにつれ日本の国家としての質が毀損されていく。国民としての自覚を養い自己研鑚に励んでいかない限り、本質的な国家の繁栄などあり得ないというのに。
「愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり」とは、明治時代の思想家・福沢諭吉の言葉だ。簡潔に言ってしまうと、良い政府になるか悪い政府になるかは国民次第だということ。まさに「国民がバカだと国家もバカになる」という傾向はすでに明治の偉人によって喝破されていたというわけだ。明治といえば、欧州列強に追いつけとばかり国力増強に邁進していた時代。列強との不平等条約のせいで非常に厳しい国家運営を迫られていたものの、欧州の植民地主義に呑み込まれまいと日本人が一丸になっていた時代だったとも言えよう。その礎となっていたのが、大日本帝国憲法であり教育勅語であり修身だった。これらを耳にしただけで「軍靴の音が聞こえる」などと過敏に反応する勢力があるが、平和主義者のはずである彼らが、戦争を放棄していない大日本帝国憲法を非難するのは理屈としてわかるが、道義国家の実現を目指した教育勅語と道徳規範をわかりやすく説いた修身すら爪弾きにするのは筋違いも甚だしい。
本書の著者であるKAZUYA氏は、YouTubeやニコニコ動画への動画投稿者としてご存じの人も多いだろう。また、これらのサイトを頻繁にサーフィンする人なら、彼が顔出しで登場する3分ほどの動画を一度は目にしたことがあると思う。政治カテゴリでつねに上位に入っている人気投稿者だけに、評論家顔負けのハイレベルな政治論を開陳するのかと思いきや、そんなことはない。いや、むしろ彼のスタイルはそれとはほぼ間逆だと言っていい。彼自身「政治に関心を持ってもらうための入り口を作りたい」と語っているように、小難しい自説をぶつのではなく、ネットユーザーが食いつきそうなネタやスラングを多用してのニュース解説をし、その中に若者らしいツッコミを入れているだけだ。ネットをやらない人ならチンプンカンプンなネタがふんだんに盛り込まれているのは、彼が若いからということもあるだろうが、だからこそ彼は若者が多く集うネット空間に主張の間口を求めたことと思う。そういった彼を愛国者のアイコンではなく、身近な友人のような感覚で動画を観ている人も多いだろう。
なお、本書の半分以上にわたって修身が紹介されているが、その中でひとつ気になったものがあった。それは尋常小学校の2年生時に読まれる「ベンキヤウセヨ」というタイトルの一編だ。要約すると、一人は先生の戒めを守らず憐れな人となったが、もう一人は先生の教えをよく聞いたので立派な人となった、という割とよく聞く話だ。だが、本書を読んだ後、読み返すと印象が変わる。日本を盛り立てようと必至だった明治期の教育なら先生の言うことは正しかったかもしれない。だが、現在、国歌斉唱で起立しなかったり英語の授業中に韓国語を教えたりする奇特な先生がいるというが、そういう先生のもとで「ベンキヤウ」したところで立派な人になるどころか、日本に敵意を持つ子供を育成しかねないのではないだろうか。いったい誰が国家をバカにしているのか、気づかない国民こそがバカなのだと言っておこう。